文芸誌を読み続ける

食後もずっと、文芸誌を読み続けた。
「新潮」の角田光代の連載が終わってしまった。
まあ、予想どおりの結末だけど、これまでの角田作品の中ではベストなんじゃないか。
私小説、とは言えないかもしれないけど、(でも、先日の小谷野先生のブログでは、青山七恵私小説作家だと書いてあったから、だとすると、これも十分に私小説なんだろう……)
描いている世界が切実な感じがして、だからこそ同世代のわたしにとっては、
ズキズキくる感じがあった。


いくつか拾い読みした中では、「群像」の原田ひ香「あめよび」がおもしろかった。
主人公の恋愛話じたいはわりと平凡だけれど、
主人公の眼鏡店勤務、という設定がなかなかよくて、
恋愛の部分よりもむしろ、眼鏡店の描写に心惹かれた。
眼鏡店の仕事というのは、たしかにドラマティックだ。
先日、烏山の眼鏡店で老眼鏡をつくったのだが、
その店のスタッフの応対がすばらしく、接客、検眼、説明など、すべての面で、
「プロのお仕事!」と感じた。
この小説は、その店がモデルになっているのではないか、そうでないにしても、
はっきりとモデルがあって描いているに違いない、と思わせるくらい、
眼鏡店の描写の部分にリアリティーがあって、読ませた。
それと、恋人の男がラジオの投稿マニア、という設定は、ふーん、という感じだが、
挿入されている「諱」の話はなかなか興味深かった。ラストもいい。


綿谷りさの女子校ノリは、やっぱりついていけない(文學界「亜美ちゃんは美人)。
ほかの新人作家に比べると、さすがに力はあるな、と思うのだけれど、
容姿やファッションがこれほど重視されているという世界が、
どうにも想像がつかないのだ。
自分自身の高校時代、大学時代とのギャップが激しすぎて、どうも。
「新潮」の絲山秋子も、主人公のエキセントリックぶりが、ここまでくるとちょっとついていけなかった。
話のもっていきかたは、あいかわらずうまいけれども。
文學界」の片岡義男の短篇連作は、うーん、私としてはちょっと許しがたい感じ。
なにしろ、翻訳者と編集者の会話がストーリーの大半を占める。
で、この翻訳者ってのは、大学生の頃からミステリーを専門のようにして翻訳をして10年、35歳、独身。訳文は端正で読みやすい、と評価されている。
一方の編集者は、もともとは音楽の出版社で編集の仕事を3年、一般的な書籍の編集を4年、30歳になったときフリーランスとして独立したという、34歳の独身。
編集者の女性の後輩がつとめる出版社から出版予定の「最近のアメリカの長編小説」の翻訳をいらいする、というのが二人の出会いなのだが、
たとえば、2度目に会ったときの喫茶店での二人の会話。
  「正月を迎える前に、すでに枝には蕾がいくつもある。そして正月のうちに咲く」
  「繰り返される生命の営み」
  「そういう言葉できみは、僕に軽くジャブを出してるだろう」(62ページ)


ええー! という感じだ。
いまどき、「最近のアメリカの長編小説」を、エンタテイメント出身の35歳の翻訳家に依頼するってことはまずないだろう。しかも、外注に丸投げ。あり得ない。
そしてこの30代半ばの男女が、仕事の打ち合わせもそこそこに、
恋愛遊戯めいた言葉を交わし続ける。
なんでだ、なんでこの編集者は、ため口なんだあー。
どれだけ美人で有能なのか知らないけど、著者に向かってこんな口のききかたしたら、
普通は仕事なくすよー。
(それとも、こういう特殊な「色気」を持つ女性編集者が、
少なくとも作者の周りにはいるんだろうか……)


明日は会社だ。
気合いをいれるために、ガツンとくるような長編小説でも読もうか。