ぼんやり「すばる」を読んでいた

予定していた出張が突然キャンセルになり、たまっている代休を消化。
さあ、本が読めるぞ、とはりきりそうなものなのだが、
天気のせいか、一月遅れの五月病か、どうも調子がでない。
休みなのだから仕事はしない!と意気込んでいるわりに、
つい、1時間とあけずに会社のメールをチェックしたり、
手帳に予定を書き出したり。


夏の恒例、沖縄旅行も、同居人の仕事の関係でいつもの時期に行くことができず、
ハイシーズンのもっとも値段が高い時期か、台風覚悟の時期に行くことになりそう。
でも、下手をすると倍近い価格表や、台風直撃にあった人のレポートなどを読んでいると、
なんだかなー、こんなときに無理をして行かなくても……なんて、思ってしまう。


前回自分が書いたブログを読み返してみると、
ずいぶん不満たらたらの文章で、あらあ、どうしちゃったのかなあ、アタシ、という感じ。
いいじゃありませんか、居酒屋で別々払いをしようが、挨拶をしてくれなかろうが。
ま、こういう気分の時もあるんだな、ってことで、あまり思いつめず、
ソファにごろんと横になって、数日前に届いた「すばる」を読み始めた。


「すばる」は他の文芸誌にくらべて若い書き手が多いのと、比較的外国文学に力をいれている。
(あくまで、比較のモンダイ。)
上記のようなぐずぐず気分で読み始めたため、正当な評価ができているか怪しいものだが、
どれもあまりぴんとこなかった。
藤野可織「ペトロネ」は、妹が入った写真部に自分も入る、って記述から既に、
あれ、変だな、と気づいて、その後の展開が見えてしまう。
そう思いながら読むと、どの記述もわざとらしくて、ちょっと残念な感じだ。
ゾペティは初めて読んだけど、うーん、扱っている「変な日本語」にどうもリアリティーがない。
「あっザース」というのがすんなり受け入れられれば面白いんだろうけど。
松本薫「フラワーズ」は、対称的な高校生の女の子二人の友情とそれぞれの母親の姿を描いているんだけど、
うーん、あまりにありがちな設定、ありがちなストーリー展開。
やっぱり自分の精神状態がよくないせいかなあ、と思いながら、フィリップ・ロスを読む。
これは、さすがにおもしろかった。
「連載」の文字を見落としていたので、最後まで読んで「え、これ、読み切りじゃないの?」という気分になり、あー、すぐに続きを読みたい!と思ったので。
柴田元幸は相変わらずうまい、というか、何のひっかかりもなくさらさらと読めてしまう。


7時を過ぎて、ごそごそと夕飯をつくりだす。
同居人から、帰宅は9時過ぎになりというメールが来た。
リビングのテーブルの上の文芸誌の山(残り3誌)を眺める。さて、どれを読もうかな。
こういうイマイチな気分のときは、お気に入りの作家のものから読むかな。