お花見の季節に前職の出版社を訪れたせいか、20年くらい前にお花見の席で、海外文学の企画をボツにされたことに抗議したことを思い出した。そのとき私の抗議を受け止めて話を聞いてくれたのが、今日、業務委託のお仕事を発注してくれたTさんだ。
企画の出し方というのは会社によってずいぶん違っていて、たとえば業務委託の仕事を受けたことのあるK社は、編集・営業など部門にかかわらず、いつでも誰でも企画が出せるという羨ましいシステムだ。ただこれは、K社が比較的幅広いジャンルの本を取り扱っているということに拠るところが大きい。前職の会社は辞書と教科書がメインの出版社で、辞書の担当者はひたすら辞書を作り、教科書の担当者はひたすら教科書を作っていた。たまに単行本を作る機会もあったけれど、それは辞書なり教科書なりから派生するものに限られていた。だから翻訳や海外文学の企画を出したいと思っても、「出版企画センター」というような部署に所属する一握りの人しかそういった企画を出すことができない。
ところがあるとき、たしか創立130周年の企画を募集!という掲示が出た。この記念企画には、編集・営業かかわらず、誰でも企画を提出することができるのだ。今思えばしっかりとした募集要項もなく、提出方法もふんわりしていたから、会社が本気で企画を集めていたとは思えない。でも当時教科書部に所属していた私は、「企画が出せる!」と思って張り切って企画書を書いた。募集要項もないし企画書のフォーマットもないから、A4の紙に3ページくらい、たしか3つくらいの企画のアイディアを記したメモのような企画書。そのうちの1つが、海外文学のアンソロジーだった。まわりの誰も、応募している様子はなく、選考の過程の報告もなく、ずいぶん後になってから、重厚な辞書企画が創立130周年記念として進行していることを知った。
企画を提出した直属の上司に、私が出した企画はどんなふうに検討されたのか、なぜボツだったのか、教えてほしい、と訴えたけれども、上司はまったくわからない、の一点ばり。あまりしつこく尋ねるので、とうとうある日、当時の出版企画センター長に談話室に呼ばれ、簡単な説明を受けた。ひとことでいうと、会社が求めているものではない、ということだった。応募がどれくらいあったのか、選考過程はどんなふうだったのか、などは何も教えてくれなかった。もやもやだけが残ったけれど、教科書の仕事ももちろんやりがいはあったし忙しかったので、この企画のことはしだいに頭から離れていった。
そして花見の日。たしか当時、新入社員の歓迎の意味をこめて、一駅先の飯田橋のお濠で花見の宴をする習わしがあった。この席で、なぜか130周年企画の話題になり、ひとりの先輩が、わたしの企画書のことを「あんなゆるい企画じゃだめだよ」と言ったのだ。彼がどういう立場でわたしの企画書を読んだのかはわからない。でも、私としてはめいっぱい勇気をふりしぼって出した企画をそんなふうに言われたことが悔しくて、ものすごい勢いで食い下がった。かなり感情的になっていたかもしれない。新入社員歓迎の席の雰囲気をもしかして悪くしてしまったかもしれない。今となってはもう覚えていないのだけれど、そのときにちゃんと話を聞いてくれた人が、今日、仕事の依頼をくれたTさんだった。
それから10年近く、わたしは教科書の仕事を続け、Tさんとは激しく対立することもあった。「あなたはわたしの希望を叶えてくれたことはただの一度もない!」と非難したこともある。けれどもわたしが50歳になった年に、彼は私の年来の希望を叶えてくれた。一般書出版部への異動だった。
異動2日目に、わたしは以前から懇意にしていた版権エージェントを訪れ、これから翻訳書の企画を出せる部署に異動になったからよろしく、と挨拶に行った。企画が出せるのが嬉しくて、どんどん企画書(今度はちゃんと決まったフォーマットがあり、企画成立要件があり、突破しなければならない企画会議が複数回設定されている)を書いた。最初のうちはボツの連発だったけれど、だんだん会社の求める方向性も見えてきて、企画会議突破の確率もあがっていった。少しずつ、文学の企画に近づいった。シェイクスピア、世界文学、シャーロック・ホームズの文学3点セットを出すこともできて、そしてついに、少し形は異なるけれども、あのときにボツになった、世界文学のアンソロジーの企画を通すことに成功した。会議で後押ししてくれたのは、花見のときに話をきいてくれたTさんだ。
最後の2年間は、学習参考書を作る部署に異動になり、翻訳書の編集からは離れた。退職後、独立して、やっぱりやってみたいと思ったのは、海外文学の企画だった。会社の規模が小さいから、「どんどん」出すというわけにはいかないけれど、企画・編集からデザイン・販売まで、全部自分たちで行うという醍醐味がある。企画を通すも通さないも自分たち次第。私が突っ走りすぎてたまに慎重な同居人からたしなめられるけれども、それもいいバランスなのだと思う。あの花見の席で、むきになって抗議していた40代の私に、こんな未来が想像できただろうか。海外文学の翻訳出版が厳しい状況にあるのは、当時もいまもかわらない。というか、今のほうがさらに厳しさは増しているだろう。前職の出版社と私の出版社では、規模が全然違うけれども、厳しい状況にあるのはきっと同じだ。大きいところは大きいところの、小さいところは小さいところなりの悩みがある。それぞれの場所で、それぞれのやり方で、作りたい本を作っていけばいいんだな、とあらためて思った。
明日は別の会社の請負仕事、19世紀文学の傑作大長編の入稿準備だー!