読了本など
先週は九州から京都へと出張のハシゴだったというのに、
明日、重要な編集会議があるうえに予算案だの何だのと提出物に追われて今週は1日も休めず、
今日、2週間ぶりの休日となった。
日中は法事で護国寺へ。
旭川に住む兄も帰省しており、いとこ達も勢揃いしたので、
仕事や子育ての話で盛り上がった。
うちは兄もわたしも子供がいないが、
いとこ達は結構な教育パパ・ママになっていて、
「子どもが読解力がないんだけどどうしたらいい?」
などという悩みを元小学校教師の叔父叔母に持ちかけていたが、
聞けばその子はまだ小学校1年生とのことで、
ひゃあ、いまどきの子どもは大変なんだなー、と実感。
子育てといえば昨夜9時すぎ、よくいく駅前の居酒屋に入ろうとしたら、
レジのところで子連れママ4組のグループが、「別々払い」をしているのに出くわした。
居酒屋なのに、4人それぞれが飲食したものをレジで報告をし、それぞれ精算してもらっている。
入り口が狭く、レジの人がはけないと、同居人とわたしが中に入れない仕組みになっていて、
わたしはだまって「げーっ」と思っていたのだけれど、同居人も同じ思いだったらしく、
しばらくして、「こりゃだめだ」と言って店をあとにした。
同居人が「女の人ってこういう人の迷惑を考えないところがあるよね」と言うので、
わたしは全世界の女性のために、「女の人って」という部分を訂正させようとしたが、
「子育て中の母親のグループって」と訂正したい、と密かに思ってしまった。
わたしには子どもがいないのでよくわからないが、
きっと子育て中のお母さんたちって、ほんとうに大変なんだろうと思う。
だからたまには子連れで飲みに行きたいとか、
マンションの中庭で大声でおしゃべりしたいとか、
そういうときに冴えないフリーター風のおばさんから「こんにちは」とか言われても返事する気もおきない、とか、
まあ、仕方ないのかな、と思うようにしている。
なるべく優しい目で見守るようにこころがけている。
だがしかーし!
今日の夕方、法事から戻り、喪服でマンションの入り口の階段にさしかかったとき、
階段を自転車で駆け下りるという遊びをしている男の子たちがいて、
それをすぐそばで見ているのに注意もしない母親軍団がいて、
それでもがんばって「こんにちは」と挨拶をしたのに、無視されたときには、
もう、ぶちきれた。
おたくのクソガキが自転車でわたしにぶつかりそうになってるんですけど!
……などというわけもなく、
まったくもう、いまどきの親ってのは、ぶちぶち……と思いながら、とぼとぼと部屋に入ったのだった。
でも、そのあと近所のスーパー「さえき」に行ったら、
なかなかよい光景に出くわした。
4歳くらいの子どもが、おもちゃ風の駄菓子をさわっているうちに壊してしまったらしく、
パパとママに、「こわれちゃったー」と泣きそうになって報告している。
するとパパがものすごくコワイ顔をして、「○○がこわしたのか?」と聞いた。
子どもはこたえない。パパは、「もしかしたら、最初からこわれてたのかな?」と聞く。
おやおや、とわたしは思った。このパパさん、子どもの肩をもって責任転嫁するつもりなのか?
ところが、そうではなかった。
「ちゃんと、パパの顔を見て、答えなさい。最初からこわれてたのかな、○○がこわしたのかな?」
子どもはうつむいたまま、何かこちゃこちゃとこたえた。
パパは、「ちゃんと、パパの顔を見て、言いなさい」と繰り返した。
あんまりずっと見ているのも悪いと思って、その場を離れたのでその後の展開はわからないけれど、
あのパパさんと子どもならだいじょうぶ、あの子はちゃんと、自分がこわしたということを言って、
ごめんなさいを言ったに違いない。
その子はその駄菓子がほしくて、さわっているうちにこわしてしまったらしい。
もちろんその商品は、親が責任もって買い取るしかないだろうし、
たいした金額でもないのだろうけれど、
こういうときにきちんと自分の非を認め、嘘や言い逃れをしない子どもになってほしい、という、
パパさんの思いがよく伝わってきたのだった。
ちなみにママさんもすぐそばで黙って父と子のやりとりを見守っていた。
さて、この間の読了本はわずか2冊。
名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語 (ちくま学芸文庫)
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- 作者: ジェインオースティン,Jane Austen,中野康司
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「高校国語」の方は営業の合間に読んだのだが、
内容じたいは驚くほど充実している、というわけでもなかった。
たしかに、そこに載せられているようなタイプの解説は、
最近の指導書では歓迎されなくなりつつある、というのは事実だ。
一目でわかる、とか、すぐに使える、とか、とにかく即効性が求められる。
でも一方で、先生が自分の頭で考えなくなってどうする、
指導書の解説をじっくり読んで自分なりに咀嚼し、それを目の前の生徒にどう展開するか、
それを考えてこその教師であり、それにこたえる指導書であってほしい、と思っている先生も、
実際はものすごくたくさんいるのだ。
そしてあまり歓迎されないとわかっていても、
そういう先生の要望にこたえるような指導書をいまもつくろうとしている版元は、
いっぱいあるんじゃないだろうか。
オースティンはそろそろ飽きてきてもおかしくないのだが、
やっぱりするすると楽しく読めてしまう。
とくにこの作品は少女漫画のようなコメディータッチで、
予定調和だしものすごく軽いんだけど、うーん、さすがオースティン。
からかうように随所に配されているゴシック小説への言及がなかなか気が利いているし、
主人公の冴えない少女キャサリンもさることながら、
キャサリンの友人で抜け目のないイザベラ・ソープという登場人物がすばらしい。
いるいる、こういう嫌らしい女。でも、憎めないんだよね−。
作者がちょろちょろと顔を出して語るいつものスタイルも、
初期の作品らしくストレートに出ていて、作者とおしゃべりしているような気分で楽しめる。
小説世界に浸りきって読むのと、
作者といっしょにメタの位置に立って読むのと、
一度に二つの味わいが楽しめる、ってわけだけど、
そういう楽しみ方ってべつに、学校で「語り手を意識する」とかなんとか教わらなくても、
自然にできるものだよねえ?
さて、明日はとてもとても大事な編集会議。
まだいろいろ書きたいのだけれど、明日に備えて、そろそろ寝ることにしよう。