「死者の妻たち」のこと

昨日、ぶちぶちと会社の愚痴をかいたものの、
ちょっと書きすぎたかと反省し、プライベートモードにしたまま、忘れていた。
ミクシィのほうに、あたたかい励ましのコメントをいただいたりして、
だいぶ元気を取り戻した。
明日は朝早くから某食品工場で取材。
早く寝たほうがいいんだけど、昨日の書き込みのままだと気分が晴れないので、
前に「後日」と書いた、ホーソーン「死者の妻たち」のことを書く。


「モンキービジネス2009WINTER 少年少女号」に掲載されている、
柴田元幸訳のホーソーン「死者の妻たち」を読んだときのわたしの第一印象は、
「さすがに格調高くてうまいけど、ストーリーはO・ヘンリー風の『ちょっといい話』で、
毒がない」というものだった。
そしてそのようなことを、先日、ブログのコメント欄に、「追記」として書いた。
そうしたらその直後、某有名翻訳家から、メールをいただいた。
その内容は、最後の一文の「彼女」をメアリととるか、マーガレットととるかで、
この話はO・ヘンリー風の「ちょっといい話」にも、
毒のある「ちょっとイジワルな話」にもなる、というものだった。


柴田元幸訳の最後の段落は、以下のとおり。


   引き返す前に、メアリはランプを置いて、熱っぽく眠る人に冷気が害を及ぼさぬよう
  寝具を整えてやろうとした。ところが、震える手がマーガレットの首に触れて、
  涙も一滴その頬に落ちると同時に、彼女は突然目をさました。(168ページ)


なるほど、と思った。
初読のときわたしは、この「彼女」を、マーガレットととった。
メアリがマーガレットの寝具を整えてやろうとしたとき、
その気配でマーガレットは目をさました、という文脈である。


ところが、最後の「彼女」をメアリととれば、
この段落はもちろんのこと、その前に描かれているメアリの行動はみな、
実はメアリの夢の中の出来事だった、ということになる。


メールの主によれば、どうやら本国でも両方の説があるらしい。
どちらが正しいともいえないのだろう。だからこそ、柴田さんは、
どちらにも規定しない、原文どおりのshe、「彼女」と訳したのかもしれない。
わたしは文学研究者ではないので、これ以上のことはわからないけれど、
現時点では、初読の解釈より後者の解釈のほうが、より作品を楽しめるだろうと思う。


前にも書いたけれど、わたしの周りには、こんなふうに読書についていろいろな示唆を与えてくれる人が大勢いる。
ブログ上のものも含め、「書評」や「ブックガイド」を読むことは、
これから読む本を選ぶ判断材料になったり、すでに読んだ本をより深く理解する助けになったりする。
最近はとくに、この後者の役割のありがたさを実感することが多くなった。
たとえば、発売直後に読んで、浅はかな感想文をブログに書いていたら、
みるみるうちに大評判になってしまった、水村美苗日本語が亡びるとき』。
わたしはその日のブログに、
「今、いっしょに仕事をしているあの人やこの人、
 これからいっしょに仕事をしようとしているあの人やこの人に読んでもらって、
 ぜひ、感想を聞きたいと思うような本だった。」(11月10日付)と書いている。
その後、メールやブログなどさまざまな形で、ずいぶんたくさんの「あの人やこの人」の感想を聞くことができた。
自分とは反対の方向の感想も含め、いろいろな意見を読んだり聞いたりすることで、
ずいぶん理解が深まったなあ、と思う。自分の思考のパターンというか、「くせ」みたいなものに気づかされたようにも思う。


というわけで、明日の取材に備え、今日はもう寝ます。
明日の準備を整え、布団を敷いて、パジャマに着替えて、
横になろうとして、「突然、目をさました」りしたら、どうしよう……。