哀しいほどに健康

仕事が忙しくなってくると、ぽつぽつと体調をくずす人がではじめる。
わたしの仕事はいつも、12月〜3月ごろにピークがくるので、
風邪やインフルエンザなどで寝こむ人も多い。


でもわたしはなぜか、風邪をひかない。
同居人がインフルエンザにかかったときも、ふだんと同じように生活していたけれど、
まったくうつらなかった。
いや、たしかに今年は年末年始に風邪をひいて寝込んだ。
でも、悔しいことに、それは貴重な年末年始の休暇中のことだった。
現在の会社に入って6年、1日も自分の病気などで会社を休んだことがない。健康優良児だ。


さらに、心のほうは体なみにタフ、というわけにはいかないけれど、
わたしの悩み方、怒り方は、なんていうか、とても健全なのだ。
言い方を変えると、散文的というか、非文学的、というか。


最近、同居人がある若手女性作家を気に入って、ものすごくほめる。
それじゃ、と思って読んでみるのだけれど、
わたしはどうも、著者が「あたしって、繊細でしょ」って主張しているような気がして、好きになれない。
若い男性作家の小説はあまり気にならないのだから、
やはりこれは、一種の嫉妬のようなものだろう。
「暗さ」や「わけのわからなさ」「狂気」みたいなものと、自分があまりに縁遠いものだから。
「明るい」「わかりやすい」って、よく言われるもの。


さっき、幻想文学系の人たちの間で評判になっているという某ブログを偶然読んだのだけれど、
この書き手が、わたしの正反対のような人なのだ。
若くて、きれいで、でも、心の中に闇をかかえている女性。
わたしと共通しているのは、本が好きってことくらい。
結局、自分から命をたってしまったのだけれど、ブログを読むかぎり、最後まで何に行き詰っていたのかわからない。
わたしの場合は、原因のわからない怒りとか苛立ちって、あんまりないんだよね。
はっきりと具体的に、あいつのあの言葉がむかついた〜!とか、
この事件がショックだったあ!とか、
感情の起伏の原因がわりとはっきりしてる。
だから、これこれの原因をとりのぞけば、よし、問題解決!ってかんじで、
わたしの人生って、ずいぶんうすっぺらだなあ、と思ったりもする。
そういうわけで、どうやら心のほうも、哀しいほどに健康、なんだな。


ところで、時々書いていることだけれど、編集の仕事というのは、人との出会いがすべてと言ってもいいような仕事だ。
わたしは人間関係についてはしつこいところがあって、自分が「この人!」と思った人に対しては、わき目もふらずに突進するし、
一度深い関係になった(って変な意味じゃないですよ)相手とは、何度でも関係を復活させようとする。
相手のことをもっともっと知りたいと思うし、自分のこともわかってほしいと思う。
……って、別に恋愛をしてるわけじゃなくて、ただの仕事上の関係なのに、こんなふうに思い込みがちなのだ。
作家さんや画家さん、デザイナーさん、著者の先生方などとお会いして、ほんの短い時間お話をしただけなのに、
こんなふうに夢中になることがよくある。もちろん、男女問わず、である(ことを強調しておきたい)。
ひとことで言うと、惚れっぽい、ということか。


もしかしたらこのことが、哀しいほど健康なわたしの、唯一、病的なところかもしれない……。