寺田博の語る「文芸編集者の社会的使命」

昨日、定期購読の文芸誌3誌が届いた。
3誌の目次をながめ、ぱらぱらとページを繰ったあと、
まず、「文學界」から読み始める。
毎号楽しみにしているのは、山田詠美の「タイニーストーリーズ」、阿部公彦「凝視の作法」。
今号は、「特別対談1968から2010へ 小熊英二×高橋源一郎」がおもしろかった。
小熊英二の「1968」は、読んでみようかな、と思っていたのだけれど、
あまりの分厚さにちょっと躊躇していた。
でも、この対談を読み、うーむ、これはやっぱり読まなくては。


「編集後記」的なコラム、「鳥の眼・虫の眼」は、「名物編集者の死」というタイトルで、
寺田博という文芸編集者のことを書いている。
寺田さんは、文芸編集者の社会的使命について、
「後世に読み継がれるような名作を発掘すること」と、
「新人作家(評論家)を発掘し、育成すること」
と記したそうだ。
「まさに日々、読み、読み込み、夜な夜な文壇バーに作家を引き連れ、新人を長い目で育成した」とある。
そこを読んだときに、わたしは先日、ほとんど初対面に近い編集者に、
「この人は今はまだ世間から評価されていないが、自分の力で世に出したい、と思う著者はいますか」と訊かれたことを思い出した。
今まであまりそういうことを考えたことがなかったので、わたしは少し動揺して、
「編集者としての経験も浅いし、まだまだそんなふうには考えられなくて……」と口ごもった。
彼女はわたしのその答えに、なんとなく不満そうだった。


そして今思うのは、彼女もわたしもいわゆる「文芸編集者」ではないけれど、
「編集者」である以上、いや、出版の仕事に携わっている以上、
経験が浅いとか、専門知識がないとか、そんな言い訳をほざいていないで、
「こんな本を出したい」「この著者を世に出したい」という熱い思いを持って、
ブルドーザーのように本を読み、人と会い、「この人」と思った人を世間に売り込んでいくべきだ――
そんなふうに、彼女は考えているんだな、ということだ。
自分より10歳も年下の女性編集者の気迫と気概に脱帽。
おお、わたしもがんばらねば、と思う。


そういえば、5月の前半は、外国文学関係のおもしろそうなイベントが二つもある。
2日は亀山郁夫×沼野充義の対談。
6日は野崎歓×柴田元幸×沼野充義の鼎談。
連休中はどこへ行ってもこんでるし、宿代もめちゃくちゃ高いから、
こういうイベントに行ったり、家で読書をしたりして、のんびりかつ文化的に過ごすつもり。