古典新訳文庫『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』

講演会めぐりの1週間。
15日(水)翻訳の詩学多和田葉子柴田元幸小野正嗣野崎歓
17日(金)地方の某小学校の研究発表会―岩崎京子
18日(土)日本文学協会大会―大澤真幸ほか

貧弱な頭にあまりに多くの情報・思想をインプットしすぎてオーバーヒート。
うまく報告が書けない。


金曜日の小学校の研究発表会のことだけ少し。
岩崎京子さんの講演に先立ち、全校児童94名による群読の発表があった。
群読作品は、「神かくしの山」(岩崎京子)。
また、前半の授業発表では、3年生の「サーカスのライオン」(川村たかし)の授業を見学した。


ここで特筆すべきは、あろうことか、わたしはこの授業と群読の発表に、感動してしまったのである。
どういうふうに感動したかというと、
授業と発表をみているとき、対象となっている作品の書き手2人を、心からうらやましいと思ったのだ。
なぜなら、目の前のこのガキどもは、作品の一言一句を、しゃぶりつくすように読んでいるから。
彼ら無邪気な読者たちは、もちろん教師によってたくみに誘導されているわけだけれども、
とりあえず一心不乱に、そこに書かれたことばと向き合っている。
とりあえずこの瞬間、この文章を読むことの意義であるとか、トクであるかどうかとか、そういうこととは無関係に、
本気で「ライオンのきもち」だの、「けいすけのきもち」だのを、読み取ろうとしている。
そしてこれらの文学作品は、この無邪気な読者の期待にこたえるべく、
豊かな世界をたたえて、そこに立ちはだかっている、というわけで、
これほど純粋で幸福な作品と読者のありようはないのではないか。


翻訳家として原文とむきあうたび、
自分はこの作品にとって「最良・最強の読者」だと思った。
ほかのだれよりも、真剣に、必死に、原文を読んでいるという自負があった。
これは、仕事として翻訳をやったことのある人は皆、ある程度共通しているだろうと思う。
昨日、ど田舎の小学校で「ライオンのきもち」を読み取ろうとしている子どもたちの姿が、
翻訳をしているときの自分の姿に重なった。
子どもは、文学作品にとって、「最良・最強の読者」なのかもしれない。
そう思ったら、なんだかここ数ヶ月の間わたしにかぶさっていた霧が、
少しだけ晴れたように思った。


やっとのことでトルストイ読了。

イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)

イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)

感想を書きたいのだが、卵カレーをつくる約束をしてしまったので、とりあえず中断。