「考える人」最新号

ひさしぶりに自転車で仙川のお風呂に行き、帰りにお決まりのコースで書原へ。今のところ読みたい本が山ほどあるのでなるべく本は買わないことにして、「海外児童文学ふたたび」という特集を組んでいる「考える人」の最新号と、それほど読書家とは思えない高校の部活の後輩が「めちゃくちゃ面白い!」と絶賛していた酒井順子ユーミンの罪』を買って帰宅。「考える人」のほうはぱらぱらと目を通した。

考える人 2014年 05月号 [雑誌]

考える人 2014年 05月号 [雑誌]

この雑誌の読者層を意識してのことだろうが、取り上げられている本、選んでいる書き手、紙面の作り方、あらゆる面で、よくも悪くも保守的、堅い。そこにあがっている海外児童文学は皆、だれもが納得するような名著で、わたしも少女の頃読んだ本ばかりで、別に文句があるわけでもないのだが、なんというか、発見がない。へえ、そんな面白い児童文学があるんだ、とか、あ、この作家さんがこんな本に影響を受けたんだ! とか思うことがあまりなくて、きれいに編集されたページを「そうだよねー」と思いながらぼんやりながめていた。


その中に、福岡伸一阿川佐和子の往復書簡、というのがあった。「ドリトル先生航海記」を福岡伸一が、「クマのプーさん」を阿川佐和子が新訳する、という今春の新潮の新企画にあわせてのことらしい。でもねー、正直なところ、わたしはこの新訳企画については、懐疑的なのだった。というか、往復書簡に書かれているように、子どもの頃から深く愛した作品の翻訳に取り組むということは、お二人にとっては、それはもう得難い機会だっただろうし、文字通り「至福の時間」だったのだろう、と思う。翻訳をするという作業は、原書と深く深くつきあうことだし、時には物語の中の時間を生きるような経験でもあるのだから。でも、お二人にとって幸せな体験かどうかということと、新しい読者にとって幸福なことかどうかは、別の問題じゃないかな、と思うのだ。作品を深く愛していて、読み込んでいて、英語ができて、日本語の文章も書ける。だから、いい翻訳ができる。ってことにはならないんだよなーこれが。


同じ雑誌の中で新しく始まった連載に、向井万起男さんの書評エッセイがあって、文章はややスベリ気味のところもあるんだけど、選んでいる本がキングの『11/22/63』とハーバック『守備の極意』で、「どちらも傑作小説で、どちらもすばらしいとしか言いようのない名訳。」と書いていて、深く同意。この2冊の訳者はどちらもいわゆる専業翻訳家で、業界ではもちろん、その名を知らなければモグリよ、ってくらい名訳者として名高いけど、まあ、テレビや雑誌にひっぱりだこ、国語の教科書にまで文章が載ってしまうタレント作家とは比べものにならないほど、知名度は低い。でも、翻訳って、そういうものだと思うんだよなあ。白石なにがしとか土屋なにがしとかの名前は忘れてしまっても、その作品の登場人物の姿や言葉が読む人の心に残れば、それでいいんじゃないのかねえ。


同じ雑誌の中でもうひとつ、印象に残ったのは、伊皿子りり子「私のツバルと沈まない文学と」という記事。少し前に出た『いま、世界で読まれている105冊』という単行本を企画した編集者のエッセイなのだが、いやあ、エライ。最後に紹介されているツバルの『歓喜の日』のエピソードは感動的で、一回り以上年下の伊皿子さん(ふしぎなペンネーム!)と、おトモダチになりたい、と思ってしまった。いやいや、そんなことを言ってないで、「積ん読」状態になっていたくだんの本を、ちゃんと読まなくちゃいけないね。

いま、世界で読まれている105冊 2013 (eau bleu issue)

いま、世界で読まれている105冊 2013 (eau bleu issue)