沼野恭子さんの回

早稲田大学エクステンションセンターの「古典の愉しみ、新訳の試み」第2回の講師は、
ロシア文学者でトゥルゲーネフ『初恋』の訳者、沼野恭子さん。
腰痛の医者が長引いて、5分ほど遅れて教室に着いた。
満席の教室で、沼野さんがかなり早口で熱弁をふるっている。
前回より生徒の数は多いようだ。前回は講師が翻訳者ではないということで、
編集や企画に興味がない人は、お休みしていたのかもしれない。


前半、『初恋』という作品をどう読むかという、「文学」の話。
後半、『初恋』をはじめとしてトゥルゲーネフの作品、あるいはロシア文学が、
どのように翻訳されてきたか、という、「翻訳」の話。
会場に来ている方々は、「文学」の話が聞きたい人と、「翻訳」の話が聞きたい人が、
半々くらいなんじゃないだろうか。
前回の今野さんのときも思ったことだけれど、「文学」と「翻訳」、それぞれについて、
かなり専門的な知識のある人と、ほとんど何も知らない人とが混在しているので、
講師の先生はどこに照準をおいて話をすればよいかわからず、
ちょっと困っているような気がした。
わたしはといえば、「文学」の話は大学の文学部の授業のようであり、
「翻訳」の話は翻訳学校で聞いたり、本で読んだりして知っていることばかりだったので、
とくに新しい発見があったわけではない。
正直言えば、ちょっと食い足りないというか、せっかくこれだけのすごい講師陣を集めているのだから、
もう少しつっこんだ話を聞きたい、という気持ちがないわけではない。
でも、この講座は言ってみればカルチャーセンターのようなものなのだから、
こんなふうに土曜の午後のひととき、文学や翻訳の話を聞いて、へえ、とか、ほう、とか思って、
同じように文学や翻訳に関心のある人たちと、時間と空間を共有できれば、それでいいんじゃないかな、という気もする。


沼野さんは今回、『初恋』という作品を、「境界」というキーワードでまとめた。
「こじつけっぽいですけど」とか言いながら、「庭」のモチーフやウラジーミルの今の状況を、
「境界」というキーワードにまとめていく講義は、大学の文学部の授業っぽくて、なかなか楽しかった。
でも、わたしがより興味があったのは、ウラジーミルではなくてジナイーダのこと。
沼野さんは途中何度か、ジナイーダが男たちをたたく場面について触れ、
「これは将来、男に支配されることがわかっているジナイーダの、事前の復讐のようなもの(←文言、ちょっと違うかもしれません)」
というようなことを言ったのだけれど、さらっと触れただけであまり詳しくは話さなかった。
わたしは最初に読んだときから、このジナイーダという令嬢が男たちにするしぐさが、どうにも理解できなくて、
なぜこんなことをしたいのか、なぜこんなことをされて男たちはうれしいのか、
そして、この「たたく」という動作が、ラスト近くのジナイーダと父の印象的なシーンとからんでいるのはなんとなくわかるだけに、
もう少し、女にとって男を「たたく」ってことが、どういうことなのか、聞いてみたかったような気がする。


それにしても、沼野さんという人は、チャキチャキした素敵な人でした!!
「気さく」を絵に描いたような人、会場から出た質問に対する答え方もアバウトで、
ロシア文学者」とか「お連れ合いもロシア文学者」とかいうプロフィールから想像されるイメージとは、
だいぶ違う感じ。
そういえば、ちょうど今、息子さんが16歳、ウラジーミルの年頃だそうだ。


さて、読書のほうは、もう少しでゴーゴリを読み終わる。
次はミルかワイルドだったんだけど、急遽予定を変更して、
全巻そろうまで大事にとっておいた「カラマーゾフの兄弟」の1と2を読むことにする。
何しろ来週の講師は、「カラマーゾフの兄弟」を翻訳中の、亀山郁夫さんなのだ。ううう。
1週間で2冊読めるかなあ。がんばらないと。