個人事業主から株式会社設立へ。複合機と税理士は必須。

2021年の夏、会社の早期退職制度が発表になり、私はあまり迷うことなく応募を決めた。退職日直前まで普通に仕事をして、コロナ禍だったこともありお別れ会などもなく、淡々と20年近くつとめた会社を去った。その時点では、フリーで編集の仕事ができたらいいなあと思っていた。会社が用意してくれた再就職相談のオンライン面接も受けて、お約束どおり「自分を見つめて」みたけれど、あまり大きな心境の変化はなく、どんな形でもいいから、編集の仕事を続けたい、と伝えた。

 

2ヶ月ほどのハローワーク通いの時期を経て、2022年1月に個人事業主の登録をした。幸い、前職の2つの部署から仕事の依頼が来た。長いつきあいの編集者から翻訳ノンフィクションの文庫化の仕事が来た。版権エージェントさんの紹介で、コープロの翻訳書編集の仕事が来た。予想以上に忙しく、収入は減ったけれど通勤や人間関係のストレスのない、フリーランスの生活がはじまった。ちょうど同居人も定年退職したので、家の近所の古いアパートの部屋を借りて仕事場にした。6畳間に机をふたつ並べて仕事をする生活は、当初は結構不安だったけど、びっくりするほどうまくいった。別々の仕事をしているからか、隣で仕事をしている人の存在が案外気にならない。仕事は別だけど同業なので、わからないことがあったり、迷ったりするときは、気軽に相談できる。読んでいるゲラにおかしな表現があったり、笑えるミスがあったりしたときは、報告していっしょに笑う。

 

まあこのままでもよかったのだけれど、同じ家に個人事業主が2人いるより、いっそ会社組織にしてもいいのかも、と考えはじめた。このころからいくつか、AかBかの決断を迫られることが続く。個人事業主か、法人か。法人にするなら、合同会社か、株式会社か。共同経営にした場合、どちらが代表になるか。このあたりは税金とか社会保険とかいろんなことを考えなくちゃいけなくて、自分たちの年齢もあり、いろんな人の話をきいて、たくさん本やネットで勉強した。それぞれに長所と短所があり、どちらが正解ということもない。ただなんとなく、株式会社をつくってみたいな、と思った。同居人は「なんちゃって会社」というけれど、なんちゃってだろうがなんだろうが、手続きはそれなりに大変だった。株式会社にしよう、と決めて、いくつかある会社設立サイトを比較。使い慣れているマネーフォワードの会社設立というのに登録した。このサイトの指示どおりに進んでいけば、手順はやや煩雑だけれど、難しくはない。ほとんどひっかかることなく登記へと進み、無事、2022年6月1日、株式会社北烏山編集室がスタート。といっても、仕事の内容が変わるわけではない。編集請負の仕事の報酬を、個人ではなく会社で受け取るようになり、会社からはそれぞれ役員報酬と給与が出る。ざっくり言えばそれだけのことだ。

 

この時期にやってよかったと思っていることが2つあって、ひとつが複合機の導入。会社員時代からそこそこ高性能なプリンターを持っていたのだけれど、scanに時間がかかりすぎるのでもう少し本格的な複合機の導入を検討。月5000円ほどで会社で使っていたのと同程度の性能の複合機がレンタルできることがわかり、即導入した。ありがたいのはメンテナンスで、会社勤め時代よりも対応が早い気がする。昭和な風情のアパートに、礼儀正しく気持ちのいいメンテ担当者がかけつけてくれるのだ。ありがたいことこのうえない。

 

もうひとつは税理士さんをお願いしたこと。会社組織といっても小規模な編集請負会社だから、税務は自分たちでできるかな、と当初は考えていた。でも、二人ともお金の計算はあまり得意ではないし、好きでもない。うんと得をしたいと思っているわけではないけれど、ちゃんと法律や規則は守りながら、損はしたくない。税金や保険のことで気に病む時間と労力を軽減することができるなら、と考えて、顧問税理士さんをお願いすることにした。これもおなじみのマネーフォワードの税理士紹介サイトを使って、複数の税理士さんを紹介してもらい、何人かと面接をして、いちばんぴんときた方にお願いした。いちばん安かったわけではないんだけど、あーこの人は信用できるな、となんとなく思った人を選んだ。のだけれど、これが大正解だった。もちろん、月々の支払いは痛手ではある。でも、経理の苦手なわたしたちにとって、彼は経理担当の社員、みたいな存在で、あれもこれも相談にのってくれる。返事は素早く簡潔。わたしがやらなくちゃいけないのは、原則として日々の会計ソフトの入力だけだ。

 

環境が整ってきたところで、次は会社のTwitterアカウントとHPの設立を。HPはややハードルが高いので、まずは会社員時代から慣れ親しんだTwitterアカウントからはじめた。TwitterとNoteのアカウントをとりあえず取得して、とにかくはじめてみた。このころから、わたしたち二人の仕事の進め方の癖みたいなのがはっきりしてくる。つまり、適当でもいいからやみくもにはじめちゃうのがわたし。それをきっちりと発展させて、継続していくのが同居人。とくにTwitterでは、会社員時代と異なり(いや、いまも会社員ではあるのだが)、誰に気を遣うこともなく伸び伸びと好き勝手なことを書いて楽しそうだ。会社を辞めて人と交流がなくなった分、Twitter での交流が貴重な外部との接点になる。こうして、経理・総務はわたし、Twitterなど広報担当は彼、というふうに、なんとなく分担が決まっていった。

 

会社1年目は、ふたりとも前職からの請負仕事がメイン。ほかに、翻訳書編集のフリー仕事もいくつか入ってきた。企画からかかわってほしいとか、デザインも担当してほしい、といった依頼も増えてきた。同時進行が2冊から3冊になり、4冊、5冊と増えてきて、もう無理だーとなったころに、やっと前職の大きな仕事が終わった。もうしばらく、こういうタイプの仕事はしたくないな、と思った。これからはなるべく、自分で企画して持ち込むか、好きなジャンルの翻訳書か、にしぼって仕事を引き受けよう、と考えた。

 

このころから、自社出版もやってみようかな、と思い始めた。翻訳家の越前さんにおそるおそるメールを送ったのが、2023年の2月。今日はここまで。もう寝なくちゃ。