10年のあいだに

今の会社に就職して、10年になる。
仕事も結○も2年しかもたないというジンクスを持つ私が、10年も勤め続けることができたのだから、今の会社はきっと、合っているのだろうなあ、と思う。
20年前に、どうしても翻訳家になりたくて、勉強に集中したくて、教師をやめた。
それから10年は、翻訳の勉強をしながら、翻訳・編集を含むいろいろなアルバイトをしながら食いつないでいたけど、
10年前に「翻訳書の編集者としてウチにこないか」と誘ってくださった方がいて、翻訳の仕事を続けながら、編集で生計を立てられるかもしれないと思い、
それまでアルバイトで勤めていた学参・教材関連の編集プロダクションをやめた。
ところが、この話がなんだかんだでおじゃんになってしまい、途方に暮れていたときに声をかけてくれ、ひろってくれたのが、今の会社だ。


それから10年のあいだ、体力にまかせ、もう無理!というくらいに一生懸命はたらいてきたつもり。
ここ数年は幸い、周囲の人にも恵まれ、あまりストレスを感じることなく、忙しいけれど楽しく、かなり前向きな気持ちではたらくことができた。
自分がつくった本には猛烈に愛情を感じるし、著者の先生方や同僚は家族のように大切な存在になっている。
そんな中で、つい先日、10年前に「ウチにこないか」と誘ってくれた編集者に会った。
某社の編集部長だった彼は、その後、フリーランスになり、現在はまた、別の出版社に勤めて、次々に翻訳書の企画を出していた。
10年のあいだにいろいろなことがあって、もちろん彼も変わったと思う。少しは年をとった感じがした。
でも、「この業界ではまだまだおもしろいことがある。やれることがある」という熱い思いを、独特のてろんてろんとしたいい加減な口調で話す様子はまるで変わっていなくて、
相変わらず魅力的だなあ、と思った。


今日は会社の仕事で名古屋へ出張。
行きの電車の中で、著者の先生と高村光太郎鮎川信夫田村隆一などについて話す。
狂気に至るような愛を信じられるか、とか、荒地の詩人たちはかっこよすぎる、とか、
とりとめのないおしゃべりをしているうちに、新幹線は名古屋についた。
出張先ではニュートラルな司会者の役割に徹し、4月以降の仕事の段取りをあれこれと考えながら新幹線で帰京。


この3月末に、これまで一緒に荒波を越えてきた仲間が一斉に職場を去った。いわゆる「雇い止め」である。
年齢も性別も経歴もさまざまな4人だけれど、お願いした仕事に対して常に真剣で、全力投球で取り組んでくれたという点は同じだった。
月曜日に会社に行っても、彼女たちはいないんだな、と思うと、哀しいというより不思議な感じがする。
そして半年前から、わたしにとって時には目の上のたんこぶであり、時には頼もしいボスであった、直属の上司の姿もない。
やらなくちゃいけない仕事は山ほどあるのに、空席だらけの編集部。
4月からまた、新たな気持ちで、空席を埋めるようにしてがんばらなくちゃ。


明日はまだもう少し、お花見ができるかな。
雨が降って寒いかもしれないけど。