読了本はあれど

アサイラム・ピース』読了。

アサイラム・ピース

アサイラム・ピース

端正な文章で翻訳もさすがにうまくて、悪くはないんだけど、どうも、わたしはこういうタイプの本は苦手みたいだ。
もともとファンタジー、短篇が得意じゃないっていうのに加えて、ここのところちょっと気分が沈みがちだったので、
作品を一遍読むたびに、どんより。


会社でもいやな事件があって、なんていうか、もうどうでもいい! みたいな気持ちになっている。
これまでも仕事でいやなことがあって、「ばあーん!」と爆発しそうになったりしてたけど、
今回のはそれとはちょっと違っていて、何かひとつの事件や、だれか一人の言動によって苦しんでいるわけじゃなく、
この数か月の間に、ゆっくりじわじわと数々の不愉快が積み重なって、もう挽回できないところまできてしまっている、という感じだ。
仕事のしかたや進め方についても、「それは違う」と思ってもそう口にするだけのパワーがどうしても出ない。
それはあきらめているというだけじゃなく、自分の判断力に自信がなくなってきたから、という側面もあるような気がする。
仕事を進めるうえで、わたしが大切にしてきたもの、無理をしてでも守ってきたルールのようなものが、どうも時代に合っていないような、
とんちんかんなことをしているような感をぬぐえない。
いやな事件にまきこまれるのも、もとはといえば自分に問題があるんじゃないか、と思ったりもする。
わたしの言動の何かが、人をイラつかせるような、敵意を抱かせるような要素があるんじゃないか、と思うと、
もう、気配を消してじっとしているか、きれいさっぱり皆の前から姿を消すか、なんてことを考える。


翻訳学校のほうには、とりあえず週に一回くらいは顔を出すことにしようと思い、先日も早速、先生と打ち合わせをした。
先生は、学校だから、儲かる必要はないんだ、という。低空飛行でも、とにかく存続して、学校という「場」を提供し続けたいのだという。
たしかにそのとおりだ。勉強する場なのだから、華美である必要はない。
静かで落ち着いて学ぶ環境があって、時折、先生方と卒業生と在校生が集まって話をすることができればそれでいい。
そりゃあまあ、具体的にいろいろ考えていると、あれもやりたい、これもやりたい、と思いついてしまうんだけど、
会社勤めをしながらのボランティアなんだから、あまり無理をせず、できることから少しずつ、はじめてみるつもりだ。
こちらのことを考えると、気持ちがすごく明るくなる。
自分の言動が人を喜ばせたり、感謝されたりするというのは、こんなに嬉しいことだったか、と思う。
秋以降、会社の仕事が忙しくなって先生を失望させないように、
はじめた以上はある程度、継続的にお手伝いを続けなくちゃいけないな、と思っている。


ひところ不調だった同居人が、ここのところだいぶ元気になって、落ち込んでいるわたしを励まそうとしてくれている。
彼に言われたことのひとつに、「単純に、どんな本をつくりたいか、を考えてみるといい」というのがある。
たしかにここのところ何で疲弊しているかというと、人事や役割分担など、会社員としての義務や責任がらみの案件ばかりで、
編集者として、こういう本がつくりたい、こんな本に仕上げたい、ということについて考えたり、話し合ったりすることは、ほとんどなかった。
いますぐには無理でも、来年にはこういう企画をやりたい、とか、将来的にはこんな本をつくりたい、とか、考えることができたら、
日々の人間関係のごたごたなんて些末なこととして、自分の中で処理をして、元気に会社生活を送ることができるんじゃないだろうか。
逆にいうと、いまのわたしにはそういう「つくりたい本」「やりたい企画」が見えないから、何もかもどうでもいいや! となってしまってるんじゃないだろうか。
……と、ここまで書いて、何を青臭いことを言ってるんだ、と思った。
こりゃ、30代、下手したら20代の若者の言うようなせりふだ。まあ、仕方がない。会社員としての精神年齢はそれくらい、ということだろうから。


ここのところ、ブログですら正直な自分の気持ちを書けなくなっていて、ちょっとストレスになっていた。
もともと自分のストレス解消のためにはじめたブログなのだから、うまく書こうとか、有用な情報にしようとか、余計なことは考えず、
小学校から高校、大学くらいまでずっと続けていた日記の延長として、書きたいことを書くようにしよう。
会社の愚痴とか書きすぎちゃったなと思ったら、とりあえずプライベートモードにするとか、
とりあえず文章を書いたら読み直さないで「確認する」を押しちゃうとか、
読んでくれている人に、こいつアホかも、とか思われてもいいや、ってくらい、軽い気持ちで書くことにしよう。
というわけで、早速、実行。