『憶えている』を読んだから

岡田林太郎『憶えている 40代でがんになったひとり出版社の1908日』(コトニ社)を読んだ。岡田さんはこの本(とたくさんの編集本)を遺して、今年7月に亡くなった。わたしは最愛の妹を30代でがんで亡くしている。岡田さんがひとり出版社を立ち上げた3年後、がんが発覚した2021年に、長年つとめた出版社を退職し、ひとりならぬふたり出版社を立ち上げた。本の造本・装釘をお願いするのは、宗利淳一氏。岡田さんのブログは、独立してから時折読んで、出版社をやっていくときの心構えとか、営業の方法とか、参考にさせていただいていた。情熱をもちながらも落ち着いた、安定感のある出版業とのかかわり方は、わたしたちの考える出版業と重なる部分が多く、とても追いつけないなと思いながら仰ぎ見ていた。

 

岡田さんが亡くなった、というニュースは、まったく面識のない私にも衝撃だった。奇跡の回復をみせてお仕事の復帰されたとうかがっていたので、そのまま奇跡が続くに違いないと勝手に思っていた。それからまもなく、私たちはずいぶん迷っていた流通について、岡田さんのみずき書林さんと同じ、トランスビューさんにお願いすることに決めた。それからしばらくして、同じトランスビューさん扱いのコトニ社さんから、岡田さんのブログが書籍化される、と聞いた。SNSで紹介される書影を見て、ああ、宗利さんだ、気合い入ってるな、と思った。ちょうど同じ頃、わたしたちの最初の書籍、『オリンピア』の装釘をお願いしていた。どちらも白を基調とした、凜とした気品のある装釘で、わたしはどちらもとても素敵だと思う。

 

岡田さんは本書は実用的でないし、闘病記でもない、と言う。でもわたしにとっては、実用書であり、闘病記でもあった。登記からはじまって、流通のことや、宣伝のこと、ずっと編集畑だった人間がいきなり出版社をやることになった不安や興奮を、一足先に体感していた方の生の言葉は、わたしにとってはものすごく実用的だった。そして病を得てからの日々の記録は、最期まで前向きで周囲の人への感謝を忘れなかった妹の闘病を思い出して、30代でこの世を去らなくてはいけなかった妹もまた、不運ではあったけれども不幸ではなかったと、思わせてくれた。

 

実は今、わたしが休眠状態が続いているこのブログを久しぶりに書いているのは、本書からきわめて実用的なアドバイスをもらったからだ。それは、「出版社を立ち上げたばかりの日々のことを記録に残しておいたほうがよい」ということ。私自身、会社を辞めた直後から今まで、ずいぶんたくさんの書籍やブログにお世話になったから、あとからくる誰かのために役に立てば、という気持ちもないわけではない。でもどちらかというと、岡田さんが言うように、自分のために書いておきたい。この「北烏山だより」を書き始めたのはもう20年近く前のことで、当時の上司に反発して爆発しそうになっている若き日々(アラフォーだけど)をなつかしく思い出すよすがになる。

 

というわけで、明日から少しずつ、出版者記号取得から『オリンピア』刊行までの約1年の日々を綴ってみようと思う。また挫折するかもしれないけど、それもまた、ご愛敬。とりあえず書くことのハードルを下げるため、岡田さん同様、書きっぱなしで読み直さない方針でいく。