翻訳の世界1991年5月号

同居人が「高山先生のアンケートの回答がすばらしいんだ」と言って持ち帰った「翻訳の世界」1991年5月号。へー、懐かしいなーとページを繰ってみたら、これがいろいろな意味でなかなか面白い。

 

まず普通に雑誌として、とても工夫されていて面白い。たまたま「大学英語テキスト使い方マニュアル」という特集だったこともあるかもしれないけれど、「翻訳」のもつ実用性と文化的意義と時代との関係性がほどよくミックスされている。内容は難解ではないけれど、かなりがっつり書かれていて、一つ一つの記事は長め。同居人の言っていた「高山先生のアンケートの回答」は、短い中にものすごい情報量と情熱がつまっていて、我々出版社の血と汗と涙の結晶を、玉石混淆の山から選び出して愛着をもって使っている様子が伝わってきて、感動的ですらある。その一方で、毎年時期になると段ボールいっぱいになるテキスト見本の山について、ほとんどが使い物にならない、値段が高すぎる、という苦情・不満も複数の先生が書いていらして、ああ、30年前からずっとこうだったのだな、と悲しい気持ちにもなる。

 

ともあれ、特集以外の書評や連載、翻訳学習者向けの情報ページやコンテスト、ラジオの翻訳講座と至れり尽せりの内容。翻訳に興味のある人は、この雑誌を定期購読して熟読していればとりあえず安心、と言えるくらいの内容の充実度だった。(1991年というと私が翻訳学校に通い始める1年前、中学校の教師になった年だ。翻訳修行時代はほんとうにお金がなかったけど、この雑誌だけは定期購読していたことを思い出した。)

 

そして古いバックナンバーならではの、もう一つの面白さは、本文や広告に入っている人物写真。最近亡くなった東進ハイスクール金ピカ先生の笑顔の写真の隣のページには、「素顔の翻訳家」広大な世界へアクセスする、若き沼野充義先生の写真が! 肘をついて少し首を傾げ、メガネの向こうからカメラに向かって知的な視線を投げかける沼野先生。でも記事を読むと、言っている内容は、つい数年前に先生からうかがったこととほとんど変わっていなくて(「まあ、人があまりやっていないことをするのが好きな性格なんですね」って、間違いなく同じセリフを聞いたぞー!)うわー、ぶれてない、と妙なことに感動したり。「新進翻訳家登場」の黒原敏行さんも、若い!「週3日予備校の講師をしながら、あとの時間を翻訳にあてています」とか語っている。「当面の世俗的な目標は、早く翻訳業だけで一本立ちすることあたりでしょうか」だって。あの黒原さんにも、そういう修行時代があったのねー、と励まされたり。

 

そのほか目次に並んだお名前をながめるにつけ、その錚々たる顔ぶれに、「翻訳の世界」という雑誌の実力を思ったり、すごい人は昔からすごかったんだなー、と思ったり。そして密かな楽しみ方の最たるものが、「英日翻訳懸賞」の成績優秀者リスト。優秀賞で賞金2万円をゲットしている方は、今は翻訳家として活躍されている方。2次予選通過者の中にも、現在翻訳家として大活躍されている方の名前がちらほら。(33歳・塾講師・東松山市)の方とか。1次予選通過者しかもBランクの中にひっそりと、新潮クレストなどでも翻訳を出している有名翻訳家のお名前を発見! 

 

なんてはしゃいでいるうちに、夜も更けてしまった。うまく言えないけど、この「翻訳の世界」を読むことは、単なるノスタルジーを越えた何かがあるような気がする。少なくともこの雑誌が発している翻訳界の熱気と志みたいなものは、しっかり伝わってきたし、自分なりに受け止めた。57歳からできることはほんとうに限られていると思うけど、何かできるかもしれない。そのヒントになるかもしれない。などという野望はとりあえず脇において、明日の膨大な作業の計画をたてながら眠ることにしよう。