古典新訳文庫のSF

気づいたらもう7月。ブログの更新はさぼりがちだし読書もいまひとつ、何か不満があるわけでもないのだけれどぱっとしない日々が続いている。先日、ずっとブログを拝見している「教授のおすすめ!」というブログの書き手である尾崎俊介さんにお会いする機会があったので、前からずっとうかがってみたいと思っていた、「ブログを毎日更新しているのは、何か強い決意があってのことでしょうか」という質問をぶつけてみた。すると案の定、かなり意識的に「毎日何かしら書く」ということを自らに課している、とのことだった。一日の終わりに、「今日は書くことないなあ」と思っても、考えて何か書く。疲れていても書く。のだそうだ。やっぱりそうなんだなあ、と思った。だからといって、よし、自分も毎日更新するぞ、という決意にはなかなか至らないのだけれど。


この一週間で、古典新訳文庫のSFを2冊読了。ハクスリー『すばらしい新世界』と、ウェルズ『タイムマシン』。

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

ひとことで言うと、うーん、やっぱりSFは好みにあわないのかなあ、という印象。どちらもイギリス文学で、翻訳もうまくて、何の問題もないのだけれど、なんとなくどちらの作品も、最後まで乗り切れなかった。『すばらしい新世界』は、大学の英文科の授業では、「諷刺小説です」と習ったような気がするけど、そこで描かれている「新世界」よりも未開人の住む世界のほうがより嫌悪感をもよおすような気がして、諷刺になってないように思った。それと、女の子たちがあまりに頭悪すぎで、もちろんそのように条件付けされているのだから仕方ないんだけど、なんだかなあ、と思ってしまった。ただ、さすがイギリス文学の古典、と思うような細部のこだわりが随所に見られて、読み応えがあったことは間違いない。たとえば、どなたかがブログかツイッターで書いていらしたけれども、女の子が服を脱いで未開人に迫っていく場面で、女の子を全裸にしないところがなんとも心憎い。黒原さんの翻訳は、かなり「いま、息をしている言葉で」に忠実に、「いまふう」の言葉を多用したチャレンジングな翻訳だった。


『タイムマシン』のほうは、作品としては短いし、描かれている近未来も『すばらしい〜』に比べるとまったく単純、というか、漫画みたいな感じ。『宇宙戦争』と同様、漫画とか映画とかにはぴったりだろうけど、と思った。ただ、池先生の翻訳が、黒原さんとは好対照で、描かれている漫画みたいな世界を、漢語を多用してリズミカルに訳して成功している、と思った。これが、わかりやすい、いまふうの言葉で訳してしまうと、ほんとうに安っぽいドラマになってしまう。前後譚がついているのもイギリス小説っぽくてよかった。


うーん、このSF2冊の感想が書けなくて、ブログの更新が止まっていたんだよね〜。どんな名作でも、翻訳者が名手でも、自分が「乗れない」作品ってある。その場合は読了本のタイトルだけでも書いておけばいいのかもしれない。