亀山訳『罪と罰』読了

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

罪と罰〈2〉 (光文社古典新訳文庫)

罪と罰〈2〉 (光文社古典新訳文庫)

罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)

罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)

読了。
前回、「やや大味?」と書いたけれども、
いや、その感想は基本的には変わらないんだけれども、
3巻に入って、カテリーナとスヴィドリガイロフの描写が多くなって、
ぐいぐい押されるように読み進め、「これはすごい小説だ」という感慨とともに読了した。


「大味」という感想をもった主な理由は、
ラスコーリニコフとソーニャという中心的な登場人物の言動が、
あまりにわかりやすく類型的だからだろう。
喜怒哀楽が激しすぎて、すぐに失神したり、殴りかかったり、
わざとコミカルに描いているのかしら、と思ったりするほど。
貧乏の程度もひどすぎて、いまひとつ想像力がはたらかない。


それが、2巻、3巻と読み進めていくうちに、
前半では何気なく挿入されているエピソードが、あっ、こういうふうにつながっていくんだ、という絶妙な登場の仕方で、
ラスコーリニコフのストーリーにからんでくる。
わたしがとくに惹かれたのは、カテリーナとスヴィドリガイロフで、
この二人にしても、「共感」するのはちょっと難しいような奇矯な行動をとったりするのだけれど、
それでも、カテリーナが子どもたちを連れて大道芸に出ていく場面、そして息をひきとる場面にさしかかったら、
もう、涙が止まらなかった。
スヴィドリガイロフも、ソーニャにピストルで撃たれる場面から死の場面まで、
その堂々たる「悪役」ぶりが(もちろん、だれが悪でだれが善かなど、簡単に言ってはいけない作品なのだが)、
ものすごい存在感で心に残った。
3巻について言うと、カテリーナとスヴィドリガイロフが主人公なんじゃないか、と思うくらいだ。


そんなふうに読んできたので、わたしにとっては「エピローグ」はおまけみたいな感じで、
ラスコーリニコフに救いが訪れるかどうか、ソーニャがそれにどうかかわるのか、は、
なんとなく「お約束」というか、まあ、そうなるでしょう、という感じで読み終えた。
前回、「読書適齢期」があるのかな、と書いたけれども、たぶん青春期に読んでいれば、
もっとラスコーリニコフ寄りの読み方をして、あるいはおそれ多くもソーニャに自分を重ねて、
これから先の自分の人生に思いを馳せたのではないかと思う。
そしてそれは、青春期の自分にとって、とても重く深い体験になっただろうと思うから、
やっぱり青春期に読んでおきたかったな、という気はする。
でも、この年になってから初めて、亀山訳でこの作品を読んで、これはこれですごい体験だった。
世の中にはまだまだ、わたしが未読のおもしろい小説がある。
ちょっと大げさだけど、それだけで生きている価値があるな、と思う。


……というような読後感とともに本を閉じ、
翌日、1巻から3巻の「読書ガイド」(あらすじの部分はとばして)と、「訳者あとがき」を読んだ。
そして、亀山さんの「訳者あとがき」の次のくだりを読んで、おどろいた。


  『罪と罰』の翻訳に向かうあいだ、わたしはラスコーリニコフの「狂気」に同期することのできない
  もどかしさを感じ続けていた。
  わたしが予想していた『罪と罰』の世界は、もうそこにはなかった。
  それよりもむしろ、不条理な運命の犠牲者としての主人公の不幸や、
  結核にむしばまれたカテリーナの怒りといったモチーフに、なぜか率直に共感している自分に気づかされた。
  若い時代にはなかなかまともに向きあえなかった彼女の死の場面に、わたしはすなおに同化し、
  幼い登場人物たちと涙にくれることができた。
  また、スヴィドリガイロフの謎にみちた風貌と、善と悪の、ある意味での境界線上での彼の危険な行動にも、
  自分なりの解答を示すことができた。
  さらには、世界文学の古典といわれるこの小説の、構成面での驚くべき巧みさに改めて目を見はった。
  (3巻、528ページ)


なんということ。これは、「翻訳の力」なのかもしれない。
ロシア語を解さないばかりかロシアの文化や歴史についてほとんど何も知らないわたしが、
亀山さんと似たような感想を持ったということは、
どこにどうとは言えないけれど、亀山さんの解釈、亀山さんの作品理解が、
翻訳の文章の中にじんわりとしみこんでいて、それが読み手であるわたしの中に浸透していったのではないか。
翻訳者にリードされ、翻訳者のてのひらの上で、作品を読んでいたわけだ。
そして、この「踊らされた」感じは、決して不快ではない。


亀山訳のドストエフスキー、次は何が出るのかな。
同居人いちおしの『悪霊』が出るといいのだけれど。


明日から3日間、言語学関係の夏期セミナーに参加するので、今日がお盆休みの最終日。
ベランダで育てる花を買ったり、セミナーの参考図書をながめたりして、のんびり過ごすつもり。