カルチャーな十月

今月はなぜか公私ともにカルチャーなイベントが多い。先週金曜日、紀伊國屋新宿本店での小川高義先生トークショーヘミングウェイ老人と海』新訳について)を皮切りに、土曜日は翻訳ミステリ読書会(お題はシャーロック・ホームズ『バスカヴィル家の犬』、日曜日は映画「ピーター・ブルックの世界で一番受けたいお稽古」鑑賞、月曜日、某経営学者となぜか小谷野敦談義、火曜日、某宗教学者訪問、そして今日金曜日は、下北沢で奥泉光いとうせいこうの「文芸漫談」、お題は泉鏡花高野聖』。(ついでに明日はなぜか平塚へ宗教のお勉強にいくノダ!)


どっから仕事でどっからプライベートかわからなくなっちゃうくらい、あれこれと雑多に顔を出してるけど、どのイベントもそれぞれに楽しくて、いろいろな人に出会ったり、久しぶり!の人に再会したり、なかなか充実した毎日を送っているのだった。ただ、これだけイベントや新しく人に会う機会が多いと、どうしてもそれに合わせて本を読む必要が出てくる。当然ながら、トークショーや読書会のお題の本は事前に読むので、この10日ほどの読了本は、見事に次の3冊。

老人と海 (光文社古典新訳文庫)

老人と海 (光文社古典新訳文庫)

歌行燈・高野聖 (新潮文庫)

歌行燈・高野聖 (新潮文庫)

それから、タイトルはあげないけど、初対面の経営学者と宗教学者の著書を各2冊。さすがにきっちり精読するのは無理だったけど、最低限の知識は仕入れておかないと。


翻訳の仕事をしていた頃、とくに専門分野があるわけではないので、いただいたお仕事は何でもお引き受けしてがんばった。翻訳している本の内容については、やっぱりずいぶん勉強するので、突然、化石や恐竜に詳しくなったり、ナチスユダヤ人迫害を扱った本を買いあさったりしたものだ。いまの単行本の仕事も似たところがあって、担当している書籍に合わせて、さあ、ビジネス書について学びましょう、はい、次は宗教を勉強して、という具合に、付け焼き刃なのは間違いないけど、自分なりにがんばるわけだ。もちろん、こうやって仕入れた編集者の知識なんて、何か目に見えて役に立つってわけじゃないんだけど、でもね、なんというか、ゲラを読んだり著者や訳者とやりとりをするときの安心感というか自信が、ちょっとだけ違ってくる感じがする。


というわけで、ちょっと前まで、うわあ、ビジネス書の世界って奥が深いわー、とか言ってたわたしですが、50歳を目前に、今度は宗教の世界に目覚めそうな予感。何か特定の宗教の信者になるとかそういうことじゃなく、宗教がどういう必然性の中から生まれ、私たちの毎日の暮らしにどんなふうに関わりを持ち、世の中をどんなふうに変えているのか、というようなことを知るのはなかなか興味深い。わたしはほんとに不信心者なので、死後の世界とか全然信じてないんだけど、でも妹が死んでから、死ぬことがあまり怖くなくなったのはなぜなんだろう、と考えたり。


こんなふうに大忙しの十月。気づいたら鼻の下にぷっくりと吹き出物が。ああ、疲れ過ぎ、遊び過ぎのサイン。少しセーブしなければ。