母校訪問のことなど

先日、自分の編集した本の販売促進の仕事で、数年ぶりに母校を訪れた。車が駐車場にとまり、遠くにテニスコートが見えた瞬間、泣きそうになった。母校の建物は数年前にたてかえて新校舎になっているし、テニスコートの向きもかわってしまって、自分の高校時代とは全然違ってしまっているのだけれど、それでもなお、駐車場のある高台から、グラウンドの向こうに少しだけ見えるテニスコートの土の色が、30年以上前のできごとやら、その後母校のテニス部との間にあったいろいろなことやら、うまくいったりいかなかったりしたいくつかの恋愛やらを、一気に思い出させたようだ。


仕事、仕事、と気を取り直して営業場所へ。テニス一色だった高校時代、学業成績は地を這っていたけれど、現代国語だけは得意だった。定期テストの前に何も勉強をしなくても、ノートなどとっていなくても、不思議なほど順調に高得点がとれた。あの頃は、仲間うちで何かつらいことがあると、「虎になるぞー」と言い合い(「山月記」ですね)、友人をふざけて批判するときには「精神的向上心のない者はばかだ」と言い放ち(「こころ」です)、途方にくれたときには「虞や虞や汝を如何せん」とつぶやいた(「四面楚歌」ですー)ものだった。あの頃のわたしたちにとって、文学は特殊なものではなかった。同級生の男の子からシェリーの詩を書いた手紙をもらったこともあったし、鴎外の「ヴィタ・セクスアリス」をすすめられたりもした。高1のときスタンダールの「恋愛論」がはやって、「結晶作用」についてみんなで議論しちゃったりもして、うーん、青春だったなあ。


で、現在の母校はどうか、というと、これがやっぱり、校風っていうのはあるんだねー。いまはもう、受験、受験、評論、評論、となっているかと思いきや、案外のんびりと、というか、しっかりと、詩や小説の授業もやっているらしい。最初、ちょっと怖そうと思った方が、実は外国文学好きで、わたしのつくった本に翻訳小説をのせていることや、ブックガイドのページで外国文学を結構紹介していることに気づいて評価してくださり、「国語の教師としてはなかなかおおっぴらに外国文学が好きって言いにくいんですよね〜」と言ってたのが嬉しかった。営業の数字には直接つながらないかもしれないけれど、この本を編集していたときに、母校の高校生が読みたくなるような本にしたい、という思いがあったので、伝えたい相手にちゃんと伝わったんだな、と感じた。


この母校を含む故郷の地域の学校訪問が、おそらく今シーズンの最後の営業活動になるだろう。ここのところ営業活動にくわえ、次のサイクルの本をいっしょにつくってくれるパートナーさがし、という活動もあり、初対面の人とじっくり話す機会も多かった。どうも自分は、せっかく人と知り合いになったのだから、通りいっぺんの付き合いではつまらない、相手のことをもっと知りたい、もっと深く知りたいとつっこんでいってしまうという傾向にあり、このやり方はものすごくエネルギーを必要とするのだ。帰りの電車の中では毎回疲れ果てて爆睡し、先日は新幹線の東京駅ホームで駅員に起こされるという失態を演じてしまった。というわけで、読書もはかどらず。


金曜日、土曜日と2日連続でテニススクールへ。これはほんとうにいい気分転換になる。編集の仕事とスポーツは相性がいい、というのがわたしの持論だ。編集の仕事は人間相手なので臨機応変、ケースバイケースというのがとても大事。仕事の成果に対する評価も常にあいまいで、自分の仕事がよかったのか悪かったのか、よくわからない。一方、スポーツの世界は決まったルールの中ではっきりと勝負がつく。そしてその勝負はスポーツの世界の中だけのことで、後腐れがない。編集の仕事をとおしてたまったおりのようなものを、スポーツで吹き飛ばすことができる、というわけだ。土曜日ははじめてのコーチのレッスンだったのだけれど、お笑い芸人みたいなしゃべり方をするコーチで、なかなか面白かった。できれば毎週2回くらいテニスができたらいいんだけどなー。


今日は自転車で仙川の「書原」へ。先週日曜日はつつじヶ丘の「書原」へ行ったので、どれだけ書原が好きなんだー、って感じだ。南阿佐ヶ谷の本店は別として、仙川もつつじヶ丘も、書店の規模というか売り場面積は決して広々、というわけではない。それなのにどうして、これだけの品揃え、本好きをひきつける棚がつくれるんだろう、とつくづく思う。今日は「うちに未読本がたくさんあるから買わないぞー」というつもりで訪れたのに、結局、2冊購入。1冊は教科書調査官の白石先生の著書、『古語と現代語のあいだ」。もう1冊は、小谷野敦川端康成伝』。どちらも先週一度は手にとったものの、前者は「ちょっと仕事に近すぎる」と感じたから、後者は同居人が「うちにあるから貸してあげる」と言ったので、購入には至らなかったもの。でも、今日あらためて手に取ってみて、とくに小谷野先生の本は、600ページを超える力作を借りて読むなんて申し訳ないような気がしたのと、親戚である藤田圭雄さんの著書が引用されていたのと、年譜や索引が充実していたのとで、自分の本棚に置いておきたいと思ったので、3000円とちょっとお値段ははるけれど、これだけの本なら普通は3800円くらいはするよな、と思い、えいっと購入した。イギリス文学祭り、女性作家祭りのあとになってしまうが、必ず読むつもり。


ツイッターというのは思っていた以上に時間をとるなあ。タイムラインを全部読もうとすると、かなり時間をとられてしまう。でも、自分にとって有用な情報や、なるほどと思うようなつぶやきが、どこに隠れているかわからないので、ざっとではあるがひととおり目を通すことになる。今日は、自分が一方的に面白いと思ってフォローしていた方が、ツイッターでうちの同居人のことを知り合いだと書いていたので驚いて調べたら、以前うちの会社にいた編集者だったということが判明。転職して別の出版社で働いているが、ブログやツイッターでは仕事とは関係なくハンドルネームで出版関係の情報を発信しているらしい。ツイッターの文章を読んで、魅力的な活動・発信をしている方だなあ、と憧れに似た気持ちを持っていたのだが、それが彼だったとは。世の中は狭い。