思い違いはなぜ生じるのか

なぜなぜシリーズ第二弾! などとふざけている場合ではないのだ。昨日書いた記事について、件の同僚から「同僚曰くのところがかなり私が言いたかったことと違います」とメッセージが届いた。「人伝になるとおこりがちですので訂正とかは不要です」と書いてくれてはいるjものの、ええ、そうなの??という感じで、誤解していたという認識がなかったので、真意を詳しく聞いてみた。

 

そうしたら! なんというか、全然、わたしの認識は間違っていたではないか! 最悪なのは、この話題のときに彼女に見せられたワークシートの「羅生門」は、横書きではなく縦書きだった、ということだ。ワークシート類でG Suiteを使用すると横書きになってしまうけれど便利な機能がある、ということでPC画面を見せてもらったのだが、どうやら私はその瞬間に、羅生門を横書き、ありえない! というバイアスがかかってしまい、羅生門の素材文は縦書き、選択肢のみ横書き、というワークシートサンプルの記憶が吹っ飛んでしまったらしいのだ。

 

これはもう、平謝りするしかなくて、彼女は鷹揚に別にいいですよ、それだけ(選択肢の)横書きにインパクトがあるってことがわかったのでよかったです、と言ってくれたのだが、私としては申し訳ないやら、情けないやら。でもとにかく彼女はゆるしてくれたので、なぜこんな思い違いが生じたのか、今後のためにも少し考えなくてはいけないな、と思った。

1 もともと思い込みが激しい性格である→これは自覚があるので、これからますます注意しないといけない。人の話はちゃんと聞け、といつも同居人から叱られている。

2 彼女は私のデジタル分野の先生とも言うべき存在で、IT関係に強く、英語もできる賢い女性→だから彼女は縦書きなんて遅れてると思っているだろう、という思い込みが発生した。国語力は私のほうが上よ、的なうぬぼれもあったかもしれない。

3 縦書きが淘汰されていくのではないか、という不安に常日頃からとらわれている→実はこれが一番大きかったのではないかと思う。昨日のブログに「淘汰」という言葉を使ったけれど、彼女は「縦書きが淘汰される」とはおもっていません、と断言していた。つまり、「淘汰」という言葉を選び取ったのは私自身ということ。

 

というわけで、せっかく再開したブログなんだけど、いきなり派手な失敗をしてしまったのだった。くしくも今日は、ツイッターでも何気なく書いたツイートが、もしかしたら元ネタのツイートをした方の逆鱗にふれちゃったかもと思うような事件があり(誤解だったようで、ほっとしました)、私のような人間はSNS向かないのかもしれないなーと自信をなくした1日でもあった。がっくり。