国語の勉強

最近は朝から晩まで学参のことを考えている。学参というか教育関係の仕事はどうやら、オンオフをぱきっと分けにくいみたいで、誕生日の今日も(あ、もう日付変わっちゃった)だらだらと同業他社のホームページを見たりお金の計算をしたりして過ぎてしまった。

 

国語はずっと得意だった。小さい頃から本を読むのが好きだったし、文章を書くのも好きだった。辞書を引く習慣なんてまるでなかったし、読書記録をつけたり、メモをとりながら読んだりすることもなかったけど、学校の国語のテストで間違えることはまずなかった。

 

でも国文科出身の母が「国文科は就職口がない」と言い張ったのと、日本語の本は勝手に読めるから趣味で読めばいいか、と安易に考えて英文科に入った。英文科の授業は楽しかったけど、クラスメートのほとんどが英語が好きで英文科に来ているということを知り、驚いた。同時に、「英会話」と「LL」の授業がまったくついていけず、このままだと落第しそうということがわかり、あわてて英語の勉強をはじめた。私の大学は卒業論文は日本語可だったので、張り切って日本語でキーツのオードについて書いた。そこそこ好成績だったように思う。

 

社会人2年目に突然、翻訳家になりたいと思いつめて翻訳学校に通い出した。短い文章を翻訳して提出しているうちはよかったけれど、長い文章になると全然根気が続かない。また、英米の文化を本を通してしか知らないということもコンプレックスだったので、一念発起してイギリスに留学。わずか3ヶ月だったけど、なけなしの貯金と退職金を使い果たして、なんとかケンブリッジ英検のProficiencyをとって帰国。

 

それからまあいろいろあって、翻訳家じゃなくて学校の先生になろうと思い、なぜか英語じゃなくて国語だーっと思い、通信教育で国語の免許をとって、神奈川県の採用試験を受けて、無事合格して葉山の中学校の教壇に立ったのが、27歳のときだった。

 

最初の授業で何を扱うか、春休みの間じゅう考えて、選んだ素材がなんと、『エースをねらえ!』に出てくる「庭球する心」だった。もう、今思うとあまりに自由すぎる選択で、たぶん日本中でこれを素材にして国語の授業したのって私一人だけだよね。ただ念のために書いておくと、これを詩として鑑賞したとかそういうことではなくて、中学校1年生に対して、なぜ国語を学ぶのか、中学校の国語ではどんなことを学ぶのか、というような話をする題材として使ったのでした。

 

それでここでもまたいろいろあって、学校を去ることになり、最後の授業で扱ったのは、茨木のり子の「自分の感受性くらい」だった。こちらはまとも、というか、まあ普通の選択。でも、最初の授業と最後の授業でどちらも「詩」を扱ったのは、1コマで完結しやすいという理由だけじゃないと思う。当時中学生に「先生は物語とか詩のときはすごいはりきってるけど、説明文のときはそうでもないね」と言われてしまったくらい、わたしは文学が好きなのだ。これまでの56年の人生で、進んで評論を読んだことなんてほとんどない。でも!!

 

でも、学校のテストで評論文が出ても、ほとんど間違えることはなかった。問題集を解いたことも、解法のテクニック的なものを学んだことも、塾や予備校に通ったこともない。趣味で読んでいる本はほとんどが小説で、評論を読むことはないし、恥ずかしながら若い頃は、新聞もあまり読んでいなかった。それでも、国語のテストは得意だったのだ。

 

なぜこんなことにこだわっているかというと、仕事で国語の学参を調べていると、必ず「評論文の読み方」「小説の読み方」がまるで全く別のものであるかのように語られているから。評論だって小説だって、同じように読めばいいんじゃん? そういえば、文芸翻訳と技術翻訳について、イシグロの訳者として知られる土屋政雄氏は、「基本的には同じですよ」と言っていたっけ。

 

それでも大学受験のとき少しだけ勉強したのは、古文と漢文。学校の教科書を繰り返し音読するというなんとも原始的なやり方で勉強していた。漢文の勉強は、中学生だった妹に教科書ガイドを渡し、私は教科書を見ながら書き下し文にしたり、口語訳をしたりする。間違えると妹が教えてくれるんだけど、妹と二人で、「こうおうのへいがいかにへきす!」とか「ぐやぐやなんじをいかんせん!」とか叫んでた日々が懐かしい。

 

30代半ば、翻訳家としてデビューしたものの安定収入が得られるまでにはまだまだ時間がかかりそう、という状況のなか、家から自転車で行ける距離にある編集プロダクションの、国語学参の編集アルバイト募集の広告を見つけた。ただ当時はたいていの求人に年齢制限が書かれていて、この広告も30歳以下、だった。でもあきらめるのは惜しい。思い切って電話をしてみた。自転車で行けるから交通費がかからないこと、元国語教師であること、を強調し、最後に「年齢制限は超えてるんですけど、若く見えます!」とアピール。これが決めてになったのかどうか、とにかくこの編集プロダクションでアルバイトとして働き始めた。昼はこの会社で小学校の教科書準拠テストを作り、夜はポルノ小説やホラー小説を訳す、という二重生活を約6年。大学の英文科を出てから、38歳でいまの会社に就職するまで、公私ともに波乱万丈、なんでもありの人生のなか、英語と国語の間を行ったり来たり。考えてみれば就職してからも、国語の教科書に11年、翻訳書の編集に6年、で、いままた国語の世界に戻ってきた、というわけなので、このまま国語に落ち着くのか、また英語のほうに向かうのか、よくわからないけどとりあえず国語学参の仕事がんばろう。なんて書いてたらもうじき5時だ。寝なくちゃ。読み返さないで寝る。