大村はまとナンシー・アトウェル

ぐちゃぐちゃの20代後半、葉山の中学校で国語を教えていた頃、県の研修で大村はまの講演を聴く機会があった。当時、研修的なものに行くとたいてい、「子供たちの目が輝く授業」のような空々しい言葉が並んで辟易していたので、高名な大村はまさんのお話に期待半分、どうせ似たようなものでしょという諦め半分ででかけていった。

 

大村はまの講演は、控えめに言っても衝撃的だった。やさしそうな雰囲気とは裏腹に、話している内容がものすごく厳しく、教員に求める志や能力や取り組み方の水準がおそろしく高く、かつ具体的で詳細で、こんな国語教師が実際にいるのか、無理だ、絶対に無理、でも、目指してみたい、がんばって追いかけてみたい。心からそう思って、半ば放心状態で研修のあった県の教育センターをあとにしたのを覚えている。たぶん、1991年か92年のことだと思う。

 

それからいろいろなことがあってわたしは教職をはなれ、20代に負けずおとらずぐちゃぐちゃな30代に突入し、国語の先生をしていた頃のことは、黒歴史のように心の中に封印し、学習参考書の編集プロダクションや、教科書関連の出版社の履歴書の経歴欄にだけ、そっと記す性格のものになった。中高の先生方と直接いっしょにお仕事をする機会が増えれば増えるほど、自分自身の短い教員生活のことはますます黒歴史化して、思い出したくない経験になっていった。

 

ところが数年前に、「翻訳ものだから」という理由で別の部署からわたしのところに、ある持ち込み企画が転送されてきた。In the Middle というタイトルの分厚い本で、著者はナンシー・アトウェル 。アメリカの英語教師(つまり国語教師)だという。教育関係かー、あまり売れないし、分量多すぎるし、うちでは難しいな、とすぐに思った。のだけれど、なんとなく、心がざわざわした。一応、ちゃんとレジュメを読んでみよう。ちゃんと読んでから、たぶん断ることになるだろうけれど。そう思って、転送してきた人に「少し検討してみたいから待ってもらえないか」と返事をした。

 

レジュメを読んで、これは、大村はまだ、と思った。あのときの、20代のわたしが放心するくらい衝撃を受けた、大村はまアメリカ版だ。なんとか私の手で世に出したい、と思ったけれど、分量が多すぎる、こういうタイプの本はうちでは前例がない、グローバル・ティーチャー賞をとってはいるものの、著者は日本ではほぼ無名。企画会議を通すにはあまりに課題が多すぎると思った。

 

それから訳者の方々にお会いしてそのものすごい情熱に触れ、何度も企画を練り直してついに企画会議を突破し、約2年の翻訳・編集期間を経て、今年、とうとうこの本を刊行することができた。新しい本ができあがるのはいつも嬉しいし興奮するけれど、このときは個人的な理由で、格別だったように思う。それは、大村はまのような教師にはなれなかったけれど、でも、ナンシー・アトウェル という人を紹介することができたよ、とあの頃の自分に言ってやりたい、というような気持ち。

 

この本の企画を転送してくれた編集者から、企画書や帯には大村はまの名前を出さないほうがいいと思うよ、古臭いと思う人もいるだろうから、と言われたので、出さなかったのだけれど、わたしはこの企画と出会ってから刊行までずっと、大村はま大村はま大村はま、と思い続けていた。編集をしながら、大村はまとナンシー・アトウェル が重なり、まだ見ぬこの本の読者と県の教育センターから呆然と出てきた若き日の自分が重なった。

 

いやあ、まいりました。こんなふうに、自分の中で黒歴史化していたことが昇華するなんてことがあるのかと。仕事がらみの個人的な話をブログになんて書くべきじゃないのかもしれないけど、なんとなく、今年のうちにこのことを書いておかないと後悔するような気がしたので、思い切って書いちゃいました。まずかったら非公開にする、ってことで。