翻訳出版のこと

明日から夏季休業。我が社は来週1週間、一斉休暇なので、特別に仕事がある人以外は、明日から20日まで、1年で一番長い連休となる。休みの間に新しい企画を考えたり、検討用のプルーフを読んだりしようと思って、多忙な上司に頼み込んで今後の翻訳企画の方向性について、相談にのってもらった。


版権エージェントの方や翻訳者の方と話をしていると、どの企画もおもしろそうで、あれもこれもやってみたい、と思ってしまう。ツイッターフェイスブックをながめていると、翻訳書の企画がフィクション、ノンフィクション問わず、次から次へと流れてきて、「いいね」や「リツイート」がいっぱいついていて、どの本もすごーく売れているように見える。


でも、「商売として成り立つかどうか」という視点で、いろいろな条件を考え合わせていくと、現実の厳しさはわたしのような能天気な人間でも容易に理解できる。当然ながら、確実に売れるジャンルとかテーマなんて、あるはずがない。日本の読者が好むような適当な長さの本、日本の読者が好むような書きぶりの本も、そう簡単には見つからない。なおかつ、日本語書き下ろしの本にはない個性や切り口がなければ、わざわざ翻訳書で出す意味がない。そしてそして、「これは!」という本に奇跡的に出会うことができて、個人的には「これはベストセラーになる!」と思ったとしても、当然ながら企画会議を通過する初版部数は、ぎょっとするくらい少ないのだ。そしてその部数と連動して、定価はこれまたぎょっとするくらいお高く設定せざるを得ない。訳者印税はなんとか従来のパーセンテージを確保するけれど、初版部数があまりに少ないために、商業翻訳家が食べていくだけの金額を約束することなんてできない。それでも翻訳家の方とともに「重版」の淡い期待を胸に、まずは企画会議突破をめざしてがんばるしかない。


上司が親身に相談にのってくれればくれるほど、我が社で翻訳出版を続けていくことの難しさが現実味を帯びて迫ってくる。たとえば、といって上司が例示する他社の本は、私にはどうにもとんちんかんで、我が社の社風とは合わないし、自分も個人的に絶対に手にとらないような本。それならこんな本はどうでしょう、と私が逆に提案をしてみても、上司はう〜んと困り顔。しまいには、「結局、新規開拓したジャンルで売れるときって、企画会議の冷静な判断に基づいて、っていうより、編集者の情熱におされて会議とおしちゃって、気付いたら売れちゃった、っていうケースなんじゃないかな」なんて言い出して、話は振り出しに戻ってしまった。


というわけで、忙しい上司を1時間以上拘束したあげくに、「こういう企画はダメ」というマイナス条件をいくつか確認したものの、「こういう企画はOK」というプラス条件、積極的に推し進めていくジャンルやテーマ、というのはまったく見えないまま、もやもやっと帰路につくことになってしまった。


このままでは夏休み中に新しい企画を考えるなんてできそうにない。「シャーロック」シーズン4のDVDを、英語の勉強がてら繰り返し鑑賞しよう、おととい買ったトマス・ウルフを読むのもいいな、休みなんだし、編集の仕事は2年先まで実は決まっているんだし、無理に企画を出さなくても、会社から叱られることはないよね、なんて思いながら、家に着いたら、この本が届いていた。

昭和の翻訳出版事件簿

昭和の翻訳出版事件簿


ううう。弱音吐いてる場合じゃないね。夏休み初日は、この本を読むことからはじめよう。厳しい状況だとしても、翻訳出版を続けていくことの意味が、きっと見えてくるだろうから。