鳩間島ですべてを忘れる

ここ数日、出張や旅行などイベントが多く、仕事もかなり忙しくなってきた。
本もそこそこ読んでいるのだが、感想を書かずにいるうちに、何を読んだか忘れてしまった。
せめてタイトルだけでも書いておくようにしよう、マメに更新しよう、と、
毎度おなじみの反省をひとしきり。
あ、久しぶりに書くと、やっぱりこの改行スタイルに戻ってしまっている。
たぶん自分がこの方が書きやすいんだな、と思ったので、
このスタイルに戻します。(せっかくアドバイスをくださったのに、すみません、Yさん。)


今年の沖縄旅行は石垣島3泊4日!!
3年ぶりに念願だった鳩間島シュノーケリングツアーに参加。
波が少しあったけれど奇跡的に快晴で、とにかく海がきれい。

いつもはブログで固有名詞は出さないようにしてるんだけど、
このツアーは例外で固有名詞を出しちゃう。
石垣島方面に行かれる方はぜひ、「鳩間島アイランドワールド」へ。
アンテナにリンクしているブログ「夢で見た島鳩間島」は写真満載で充実しているので、
3年前にはじめて行ったときから毎日欠かさずチェックして、
忙しい仕事の合間にこのページを見ては、
「ああ、鳩間は今日も晴れている……」と、心を慰めている。
ついでに泊まったホテルもすばらしく快適だった。(軽井沢倶楽部ホテル石垣島、というところ)
連泊のサービスでお部屋もグレードアップされて、夕食のフレンチが1食ついて、お姫様気分だった。


今日はこれから着物を着るイベントがあり、
自分でなんとかなるかと思ったんだけどわりと正式な場なのでやはりプロに着付けを頼むことにした。
今月はまた九州の出張があり、週末はほとんどすべて、会議か出張が入っている。
さらに社員旅行まであって、ひゃあ、どうなってしまうのか! という感じだけど、
営業がらみの出張でさえ、いまはすごく前向きな気持ちで、自分から積極的に引き受けて行っているので、
体は疲れるけど気分的にはとても元気。
会社でのデスクワークも、テキストを熟読する作業時期に入っているので、
選び抜かれたピースはたいていの場合質が高い。
熟読、再読すればするほど、書き手の工夫やこだわりに気づくことが多いので、
作業をしながら「うーん、さすが!」などと声をあげることもある。
(もちろん、「あー、だめじゃん、この文章!」と声をあげることも、たまにはあるのだが。)


この間の読了本、とりあえず覚えているものだけ。

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)

ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)

ロビンソン・クルーソー (河出文庫)

ロビンソン・クルーソー (河出文庫)

ほかにも読んだものがあるような気がするけど、上記の3冊はそれぞれ印象に残っているので。
『星を継ぐもの』は、ふだんはまず読まないようなジャンルの本なんだけど、
帯の文句(東京創元の読者アンケート1位)と翻訳学校の恩師の翻訳、ということで、
手にとってみた。
奇抜な設定、緻密な描写で、まさにSFの王道、という感じの小説で、
読んでいるときはそれなりに集中して読んだ。
池先生の翻訳は言葉が少し古いけど、それが逆に雰囲気を出していてわたしは好きだ。
ただ、やっぱりSFというジャンルを読み慣れていないせいかなあ、
あとで思い出そうとすると、出張先の神戸のホテルで見た映画「ターミネーター3」と、
話が混ざってしまうのだ。いや、全然違う話なんだけど。たまたま読んだ時期が同じ、というだけで。


2冊目宇野くんの本は、同居人の読了本を借りて読んだ。
わたしがここのところもやもやっと思っていた下の世代とのギャップのようなものについて、
明確すぎるほど明確に、解説してくれる本だった。
同居人もおもしろがって読んでいたのだが、
ただわたしたちは二人とも、実はここに出てくる固有名詞(とくに漫画とゲーム)を、
ほとんど知らないのだった。
著者はそういうおじさんおばさんでも読めるような書き方をしていて、
文章も大変説得力があって、とりあえず感心した。
でもその一方で、「宇野くん」という呼び方や「明確すぎるほど明確に」という言い方に表れているように、
「若いな−」という印象をもったこともつけくわえておこう。
これは決してマイナスの意味ではない。
この先この書き手が、どんなふうに変化していくのか、おばさん読者としてはおおいに楽しみだ。
最新作も読んでみるつもり。


3冊目、少女時代の愛読書を、新訳で満喫。
しかも、南の島のビーチという最高のシチュエーションで。
幼い頃、ダイジェスト版の『ロビンソン漂流記』を読んで、その虜になったわたしは、
文庫本を読めるくらいの年齢になるとすぐ、新潮文庫の『ロビンソン漂流記』(吉田健一訳)を買った。
子どもの頃はお気に入りの本を何度も読み返す習慣があったので、
その後十年くらいの間に、少なくとも5回は全文を読み返していると思う。
大学生の頃、恋愛で悩む友人に、この小説からの引用でアドバイスをしたこともあるくらい傾倒した小説だ。
翻訳に興味を持って、この本が吉田健一訳だったことを確認し、スウィフトの中野好夫訳とあわせ、
おー、そうだったのか、少女時代に無意識のうちに、名訳にふれていたということなのね、
と感慨にふけったりした。
その、思い入れのある、『ロビンソン・クルーソー』を、たぶん二十年ぶりくらいに、新訳で読んだ、ということなので、
正直言って、最初に主人公が「ぼく」と語り出したところで、げーっと思い、やめようかと思った。
でも不思議なもので、新訳の全体的なレベルが高ければ、名訳とされる旧訳に対する先入観というのは覆されるものらしい。
南の島のビーチ、という絶好のコンディションも手伝って、わたしはまたたくまに『ロビンソン・クルーソー』の世界に入り込み、
少女の頃の集中力に、少しだけ深くなった(はずの)洞察力を加えて読み進め、
読了したときには、「ああ、やっぱりわたしはこの小説が好きだ!」と心から思えたのだった。
自分の生涯ベスト3を選べ、と言われたら(すごく難しいけど)、
ロビンソン・クルーソー』は間違いなく入ってくるだろう。
まだ三十代の英文学者で文芸評論家の手による新訳は、
現代の読者に対してわかりやすいように平易な言葉遣いで訳してあって、
先ほども書いたように全体としてはほとんどひっかかることなく作品に入り込めたという点で、
名訳といってもいいんじゃないかと思う。
ただいくつか、ちょっとやり過ぎかな、という言葉遣いがあった。
たとえば、お父さんがロビンソンをいさめるときに、「ここなら十分にコネがあるわけだし」(10ページ)と言ったり、
はじめてフライデーと出会ったときのフライデーの描写が、「この男はかなりのイケメンで」(289ページ)となっていたり。
でもまあ、このあたりも、世代の差というか、わたしの感覚がもう古いのかもしれない。
とにかく、少女の頃のドキドキを再び味わわせてくれたということで、
今年のベスト本の一冊になることは間違いなしだ。


そうこうするうちに、文芸誌4冊が届いてしまった。
今夜は同居人が出張でいないので、のんびり文芸誌をながめて過ごすことにしようかな。