雲の上でブンガクについて考える

この数週間、本を読む時間があれば仕事用の本を読まざるを得ないという状況で、
自分のための読書ということがほとんどできなかった。
土日もフルで働き、日々残業を重ねても、目の前に積み上げた仕事は減るどころか増える一方だ。
そんな中でも、先週はブログ仲間のYさんに声をかけていただき、
文学部の大学3、4年生向の「英詩入門」的な授業を聴講するという機会を得て、ふらふらと出かけていった。
なにを隠そうわたしの大学のときの専攻は英詩なので、
一応そこで話されている英詩の形式や特徴についての基礎知識はある。
というわけで、わりとリラックスして、講師の先生の素晴らしい発音の朗読に聞き入ったり、
学生さんの斬新な意見やものの見方に感心したりして、楽しく時間を過ごした。
イギリスに留学していたころ、ステイ先の部屋には古いラジオがあって、深夜、BBCの英詩朗読を聞いていた。
コールリッジの「老水夫行」の朗読なんかをわかりもしないくせに流しながら、眠りについたものだった。
講師の先生の発音は、そのときの朗読にそっくりで、
講義ではとても短い詩を読んだだけだったのだけれど、できればワーズワースのプレリュードぐらい長い詩を、朗読してもらいたいと思った。


この数週間で文化的な活動をしたのはこの日一日のみ。
あとはひたすら、仕事、食事、仕事、睡眠、仕事、食事……という感じの日々を過ごした。
同居人と話をする時間もあまりなく、書店に足を向けることも少なく、
ふと気づいたら喉がひどく痛くて、ついに風邪をひいてしまったのだった。
九州出張を2日後に控え、熱を出したりしたら大変なので、あわてて薬を飲んで気合いで治そうとする。
が、若いころと違って、気合いで風邪は治らない。
残念ながら体調の不安をかかえながらの九州行きとなった。


そんな状態だったので、珍しく本を一冊も鞄に入れず、羽田を飛び立った。
(品川と羽田で書店に寄ったのだけれど、食指が動く本に巡り合えなかった。)
金曜日は久留米で仕事。土曜日に久留米から大分に移動してもうひと仕事。
いい出会いがたくさんあって、仕事としては大変実りがあったのだけれど、
初対面の人相手に超ハイテンションで長時間話をしたので、喉はますます痛くなり、声はかすれ、
すべての仕事を終えてホテルにたどり着いたときには、もう、よれよれのぼろぼろ。
かろうじて服を着替えて、そのまま爆睡。
日曜日の朝。若いころは一晩しっかり寝れば疲れはとれたものだったけれど、
残念ながら四十代の体は回復も遅い。体をひきずるようにして朝食会場へ(朝食はどうしても食べたかったのだ!)。
ホテルからバスで1時間、大分空港へ向かった。
2泊3日の九州出張で、名物料理を食すことも、温泉に入ることもなかったな、と思いながら、空港内の書店へ入る。
お、前から読みたいと思っていた「中央公論」が1冊だけ置いてあった。ラッキー!と思い、購入。
お目当ては、特集「文学なんて要らない?」である。

中央公論 2011年 11月号 [雑誌]

中央公論 2011年 11月号 [雑誌]

感想は……ちょっと簡単には言えない感じだ。
企画が甘かったのかもしれないが、寄稿している誰の文章を読んでも、
「そのとおりなんだけど、でも……」という感覚をもってしまった。
ブンガクを愛するサラリーマン編集者であるわたしは、このテーマが常に頭にまとわりついているような感じで、
とくに海外文学者のお二人の対談なんて、そこで話されていることは100パーセント理解できるし、同じ気持ちなんだけど、
でも、ねえ。せっかく雑誌で対談してるんだから、もっとなんかこう、「提言」みたいなの、ないのかしら、と。
企画全体がゆるい諦めムードと「でも自分は違うもんねー」というかすかな優越感が漂う中で、
ただ一人ぶっ飛んでいたのが中野三敏先生の「和本リテラシーを」という文章。
学習指導要領を変えて、小学校から和本リテラシーを教えるべきだということを、大真面目に論じているのだ。
あり得ない! 実感として絶対あり得ない! と思うんだけど、
いやあ、このゆるい企画の中で、この文章だけが宇宙人のようにぶっ飛んでいて、わたしは感動した。
そして、もしかしたら文学者って、これくらいじゃないとだめなんじゃないかな、と思った。


空港の書店でもう一冊、仕事先ですすめられた本を見つけたので購入。

神様のカルテ (小学館文庫)

神様のカルテ (小学館文庫)

主人公の医師は漱石ファンで、漱石の文体をまねた話し方をするという設定なのだと聞いたのだが、うーん……。
完成度はいまひとつ。いや、いま三つくらいかな。
主人公の夫婦が住むアパートとその住人の描写はなかなか楽しかったけど、
「若き医師の葛藤と彼を支える妻」というストーリーがあまりに安直で、できすぎ。
せっかく現役のお医者さんが書いた小説なんだから、もっとリアルに書こうと思えば書けたはずで、
著者はおそらく、リアルに描くことより、理想を描くことに重きを置いたのだろうな。
もちろんそれは、別に悪いことじゃない。
すすめてくれた人も言っていたけれど、読後感は明るくて、ふんわりやさしい気持ちにつつまれる。
下町ロケット」に似た読後感(小説としての出来は「下町」のほうがはるかに上だと思うが)。
でも、これがブンガクかと問われれば、断じてブンガクではない。
たとえば「ロビンソン・クルーソー」を読んでいるときの高揚に比べたら、
生ぬるくて味のないお湯を飲んでるみたいなものだ。
帰宅していつも見ている読書家の方のブログでこの本の感想をチェック。
案の定、星3つ、「嫌いじゃないけど、わたしには甘すぎた」という評価。あー、同じですー。


そろそろがつんと重たい本を読みたいのだけれど、
もうしばらくは、「こんな感じの詩」「こんな人が主人公の小説」「これくらいの長さでこんなテーマの評論」を力尽きるまで探さなくてはいけない。
あー、わけのわからない詩とか、超エログロの大長編小説とかを読みたい!!