読了本など

また10日もあいてしまった。まずは読了本2冊。

ドラママチ (文春文庫)

ドラママチ (文春文庫)

猫鳴り (双葉文庫)

猫鳴り (双葉文庫)

角田光代の連作短篇は、よくも悪くも「安心して」読める。裏切られることもないが、大きく揺さぶられることもない。「ドラママチ」の舞台はわたしの生活圏とぴったり重なっているため、町の描写なども含め、うまいなあ、と思う。登場人物たちの悩みにもささやかな喜びにも共感する。気分がダウンしているときには、こういう小説がよいのだろう。でもいまは、どちらかというと「攻め」の気分なので、たいした感慨もなく、次の沼田まほかるという新人?作家の小説に進む。


沼田まほかるのほうは、吉祥寺のパルコでポップが立っているのを見かけて、ふーん、と思いながら買わずに帰ってきたその日に、いつも読んでいるブログの本好きさんが褒めていたので、あ、しまった、と思い、翌日購入。で、わたしの感想は、いまいち、かな。あまりぴんとこなかった。選んだ1冊がよくなかったのかもしれないが、うまく作品世界になじめなかった。


わたしは読む本を選ぶとき、かなり口コミを重視している。もちろん、いわゆるベストセラーリストとかではなくて、自分が「この人とは趣味が合うなあ」と(多くの場合勝手に)思っている人が、「面白い」と言っている作品や作家を読んでみるわけだが、これはもちろん、百発百中、というわけではなくて、「残念!」ということも結構よくある。でも実はこの「残念!」体験が、口コミ読書の楽しみにひとつにもなっていて、自分にささやかな「読書世界」みたいなものがあるのと同じように、あの人にもこの人にも「読書世界」あって、それが現実世界とは全く無関係にいろんな形で重なったり離れたりしてる、というのはすてきだなあ、と思う。たとえば同居人はわたしの読書の「師匠」的な存在だが、現実の日常生活(歯が抜けたり、鍵を忘れて家に入れなかったり、等々)とは全く関係なく、彼の「読書世界」の中からわたしの「読書世界」にとりこめそうな本や作家を紹介してもらったり、勝手にひっぱりだしたりしている。彼が熱っぽく語る作品について、「へえ、おもしろそうだな」と思うこともあるけれど、解説が深すぎて彼が何を言ってるのかわからなくなり、適当に相づちをうってることもある。(ちなみに、最近彼が熱く語った作品の中で前者にあたるのがコンラッド、後者にあたるのがみんな大好き村上春樹、でした。)


毎月決まった時期に、わたしの仕事の繁忙や読書の好不調とは関係なく、淡々と4冊の文芸誌が届く。最近、これはとてもいいことだな、と感じている。仕事が忙しいとじっくり読むことができなかったり、単行本読書が不調なときにはせっせと文芸誌の短篇を読んだり、と、先方の出来不出来とは関係なく、マイペースでおつきあいしているのだが、これがわたしには向いているような気がする。届いたときに一応、目次には目を通すので、お気に入りの作家をみのがすことはないし、新しい書き手の名前も自然に頭に入ってくる。大御所の書き下ろしが「一挙掲載!」なんてことがあると、いち早く読んでちょっぴり優越感にひたることもできる。


他にもいろいろ書きたいことがあるのだけれど、疲れてきた。最近、ブログを書くのが妙に疲れるような気がする。もしかしたら、強制改行をやめたことに原因があるのかもしれない。単に体力が落ちてきただけかもしれないけど。体力といえば、テニス。ブログを読んでくれている古い友人から、「テニスは続けてるの?」と聞かれたので、とりあえず、ご報告。はい、続いてます。仕事のピーク時は休みがちだったけど、ここのところ休みなく通っているので、そこそこ上達したのではないか、と思う。とくに課題だったバック。ストロークはあまり違和感なく正しい面(軟式と硬式ではバックで使用する面が逆なのだ)が出てくるようになった。ボレーはフォアもバックも、コーチが頭をかかえてしまうくらい下手なんだけど、じわりじわりと格好がついてきた。これから仕事が忙しくなるけど、なんとかがんばって、スクールには通い続けたいものだ。