「アメリカ青春小説特集」のこと

久しぶりに仕事と関係のないイベントに行ってきた。
新井敏記×松家仁之「編集社の仕事 雑誌をめぐる冒険」。

いや、「関係のない」というのは言い過ぎかもしれない。
トークのタイトルは「編集者の仕事」なのだから。
ただ、新井さんはともかく、松家さんという編集者は、
翻訳修行時代の憧れの編集者だった。
伝説の「アメリカ青春小説特集」をつくり、
「新潮クレスト・ブックス」を創刊した、海外文学の翻訳出版の総元締めのような人、と思っていた。
現に、会場の書店に着いたら、
わたしの翻訳仲間の中でも出世頭中の出世頭、
「新潮クレスト」でも訳書を出しているIさんに会った。
その松家さんが、まだ50そこそこで新潮社を辞めたので、
これから何をしようとしているのか、
海外文学のことは(新井さんもそうだけれど)どうしようと思っているのか、
そんな話が聞けるかなあと思ってイベントを予約した。800円。
正直なところ、編集者の話なぞを聞きに人が集まるものかなあと思っていたのだが、
意外なことに満席。どうやら、同業者(編集者)が多いらしい。
それから、新井さんという方がなかなかカッコイイので、新井さんのファンもいるのかもしれない。

イベント自体はなかなかおもしろかったのだが、
全体の6割くらいが星野道夫さんの話で、
あとはインタビューの話、写真の話などだったので、
海外文学からはもうお二人とも離れてしまうのかなあと、少し寂しいような気がした。
イベントの中で、松家さんの「アメリカ青春小説特集」と時を同じくして、
新井さんも「Literary switch」という雑誌を刊行した、という話が出てきた。
わたしはその雑誌の存在を知らなかった。だから、実はswitchにしてもcoyoteにしても、
時々、文学っぽいことを取り上げてくれるけれど、
どちらかというとネイチャー系のグラビア雑誌だと思って、あまり手にとらなかったのだ。
Literary switchをネットで検索して、そのラインナップに感動。
ああ、20年前には、こんな雑誌をつくろうとした人がいたのか。
そう思ったら矢も楯もたまらず、書棚をごそごそやって、
埃をかぶった「アメリカ青春小説特集」をひっぱりだしてきた。


「1989年、サリンジャー70歳。伝統は新しい世代に引き継がれた。」と表紙にある。
おお、本文ADのところに、わたしが教科書の仕事でお世話になっている某有名デザイナーの名が。
20年前の先生は、どんなふうにお仕事をしたのだろう。
小説新潮」の臨時増刊だったんだな、とか、
「現代アメリカ作家人名録」なんてついてたんだ、とか、
昔はあまり気にならなかったようなことについ目がいく。
この20年で、わたしも変わったということだろう。
そうか、1989年の3月というのは、わたしにとって結構大きなイベントがあった時だ。
うーん、じぶんの人生がこんなふうになろうとは、あのときのわたしには想像もつかなかった。


まあ、そんな感慨はどうでもよくて、
アメリカ青春小説特集」である。
アメリカ小説の短編の翻訳が5本。
日本作家の短篇が3本。
アメリカ作家の「超短篇」が5本。
翻訳はいずれも、村上春樹柴田元幸青山南と、そうそうたるメンバーだ。
アンケートやコラムもあり、翻訳学校の恩師のM先生の名もある。
そうとう充実した企画だが、松家さん渾身の企画はやはり、
現地取材特別版インタビュー「アメリカ作家の仕事場」だろう。
ニューヨーク、ボストン、シアトル……アメリカ在住の作家10名にインタビューをして記事をまとめている。
わたしは正直なところ、あまりアメリカ小説が好きではないし、
作家の仕事場とかインタビューとかもあまり関心がないのだけれど、
なんというか、つくった人は楽しかっただろうなあ、と思うし、
当時の日本の読者たちは、「わあっ」と思っただろうなあ、と想像する。
さらに20年前の、多くの家の書棚に「世界文学全集」が並んだ、というほどのブームではないにしろ、
海外文学の翻訳や研究が、それなりに商売としても成り立っていた時代だったのだ。


だからわたしは、新井さんと松家さんに言いたかった。
もう一度、かっこよく海外文学をやってくださいよ、と。
でも、coyoteは休刊だし、松家さんは新潮社やめちゃったし、
やっぱり無理なのかもしれないね。
柴田元幸さんが「モンキー・ビジネス」でがんばってるけど、
これも商業的に成功してるのかどうかは微妙な気がするし。
河出の「世界文学全集」と光文社の「古典新訳文庫」の存在はほんとに頼もしいけど、
よくも悪くもこれは「古典の再発見」だし、雑誌じゃないし。


ちょっと大げさな言い方になるけれど、
アメリカ青春小説特集」にしても、「新潮クレストブックス」にしても、
松家さんのつくる本からは、作品、作家(翻訳家)に対する「愛」が伝わってきた。
柴田元幸さんや池澤夏樹さんの「責任編集」の雑誌や全集に「愛」があるのはもちろんだし、
新井さんのように自分で出版社をつくっちゃった人は(商業的に苦労はあるにしても)「愛」のない出版物をつくるはずもない。
でも、サラリーマン編集者でありながら、あれだけ作品、作家に対する愛にあふれた雑誌を出し続けてるっていうのは、ほんとにすごいことだ。
すごいことだからこそ、新潮社でがんばってほしかったなあ、と思う。
(ちなみに、「なぜ新潮社を辞めたんですか」という新井さんの質問に、松家さんはあまり明確に答えてくれなかった。「一人になってみたかった」とかなんとか、お茶を濁していた。)


松家さんはこれから何をしようとしているのでしょうかねえ。
また、わたしもこれから、サラリーマン編集者として何をしていけばいいのだろう。
何ができるのだろう。
そして、外国文学の翻訳や研究の紹介を、「熱烈な愛をこめて」やってくれる出版社は、編集者は、
どこにいるのでしょうか。どこからあらわれるのでしょうか、ね。


今日は代休を取得して、久しぶりに翻訳学校の仲間とランチの予定。
まだいろいろ書きたいんだけど、とりあえずでかける準備をしなくちゃいけないのでこのへんで。