理想的なコーチとは

今月は3回目のテニスレッスン。
週一回程度のレッスンではダイエット効果はのぞめないけれど、
ストレス解消効果は抜群。めちゃくちゃ元気になる。


わたしがこのテニススクールを気に入っている理由のひとつに、
コーチの存在がある。
笑顔がすてき、とかいろいろ書いているけれどそれはまあ冗談で、
このコーチは、生徒のグリップやフォームについて、あれこれ細かいことを言わない。
そのかわり、どんなふうに体を使うと楽に打てるか、ミスをしないか、速く走れるか、等々を、
あの手この手で教えてくれる。
わたしたち生徒は、その「あの手この手」の中で、
「あ、これ」とピンときたこと、自分なりにうまく消化できたことを実践していくと、
お、上達したかな、と思うわけだ。
そして、「初級」クラスであるにもかかわらず、毎回必ず「ゲーム形式」の練習をして、
それなりにゲームをやったような気分にさせてくれる。
こういったことは、週一回の大人向けのレッスンではとても重要で、
わたしは自分のテニス歴(軟式をあれだけばりばりやってたってこと)に対するプライドを捨てることなく、
しかし「もっとうまくなりたい」という向上心を常にもって、
毎週いそいそとテニスコートに通うことができるわけだ。


このコーチの対極にあるのが、わたしの高校時代のテニス部顧問である「先生」だ。
わたしが固有名詞なしで「先生」と言うときは、この人を指す、というくらい、
わたしの人生において、大きな意味を持っている人だが、
先生の教え方(少なくとも、当時の前衛に対する教え方)は、徹底していた。
前衛は守っていろ。後衛がとれないボールは通すな。自分の仕事をしろ。
かくしてわたしは「壁」になるために必死に練習した。
身長が低いので、ただの「壁」ではだめで、必要に応じて縦に伸びなければならない。
そのため、暇さえあればジャンプスマッシュの練習をした。
神奈川一の「壁」になってやる、と思っていた。


わたしがそのとき、神奈川一の「壁」になれたかどうかはわからない。
でもとりあえず、この先生の率いるチームは、「神奈川一」になった。
わたしもそのチームの一員として、関東大会や全国大会に出場することができた。
いまのテニススクールのコーチとは対極の指導法ではあるけれど、
「結果」を出したという意味では、理想的なコーチだった、といえる。


そう考えると、理想的なコーチとか理想的な上司(←お、やっぱりこれを言いたかったのね、という声が聞こえる……)とかに、
決まった形なんてないのだ。
そのときのメンバーや目標によって、理想の形は変化する。
わたしは神奈川一の「壁」になるために生きていた高校時代をまったく悔いていないし、
「先生」に感謝している、なんて照れくさくて言えないが、
あのときのメンバー、あのときのわたしを、最高の形で導いてくれたのだと思う。
そして今、わたしのテニスに対するスタンスとか、
テニスのレッスンに期待していることとかを考えると、
いまのわたしには、現在のSコーチがほんとうに理想的なコーチで、
週一回といっても、会社とスーパー以外でもっとも頻繁に出入りする場所なわけだから、
わたしはこのスクールに入って、Sコーチに出会えて、ほんとうに良かったと思っている。


そして、仕事上でも、
わたしはもう、神奈川一の「壁」になろうと踏ん張る高校生ではないので、
わたしの上に立つ人には、
できれば「先生」式ではなくて、「Sコーチ」式で接してもらいたいものだ、と思うのだった。
社会人になって25年、出版・編集の仕事にかかわるようになって20年、今の会社に就職して8年。
それなりにプライドもあり、自分なりの向上心も、仕事の楽しみ方もある。
テニススクールは「初級」クラスなので、Sコーチから見たら、
わたしも含め生徒のだれもが「アラ」だらけだろう。
それでも「アラ」をつついて意気消沈させるのではなく、
伸び伸びと楽しみながらプレーする方が、大人の生徒にとっては、上達の近道なんだよね。


おっと、そろそろ出かけなければ。
昨日からジェイン・オースティンマンスフィールド・パーク』を読み始めた。
めちゃくちゃおもしろい。やめられない、とまらない、なんだけど、
さすがにものすごく分厚いので、読了まであと2、3日はかかりそうだ。