夏休み終了。

長い長いブランク。もうブログの書き方も忘れてしまった。けど、やっぱり完全にやめてしまうのは、飽きっぽいわたしにしては珍しく続いていたことの一つなのでもったいない。と思ったので、うまく書く自信はないけど、軽い気持ちで3ヶ月ぶりに書いてみることにする。


ここ数年、夏休みの旅行は沖縄が定番だった。でも今年は、諸般の事情により、どーんと沖縄に行くかわりに、広島・札幌・仙台と、1・2泊の旅行を3回。広島はともかく、札幌は仕事がめちゃくちゃ佳境のときだったので、ゲラを持っていって定山渓温泉で読んだ。翻訳者や校正者に心の中でごめんなさいーと叫びつつ。で、その仕事は無事終わって、さっぱりした気分でこの連休、仙台→鳴子温泉へ行ってきた。先ほど帰宅し、これで夏休み終了。


広島・札幌・仙台の旅行は、某アーティストのライブをメインイベントにするという、この年にしてなんとも気の若い行動だったのだけれど、今夏は(というか、去年から)もうひとつ、気の若い行動に出ていて、それが高校のOB会のソフトテニス合宿への参加!なのだった。下は高校出たての大学生から、上は60代の大先輩まで、老若何女が山中湖に集って皆でテニスをするのだけれど、これがまあ、練習も試合も、ブランクがあろうが体が動かなかろうがそんなことおかまいなしで、びしびしと参加しなくてはいけない。たまたまペアを組んだ若者にかける迷惑を最小限におさえるべく、とにかく凡ミスだけは避けようと、それはもう必死。2日間の合宿を終えて、翌日は全身筋肉痛の体を引きずるようにしてにこやかに出社、という、無謀な夏休みだった。


ライブやテニス合宿に行って思うのは、ちょっと月並みだけど、若いっていいなあ、ということ。わたしは子どもがいないということもあって、親子ほどに年の違う若者たちといっしょにいても、あまり「親のような気分」になることはないんだよね。むしろ、彼ら、彼女らのような頃が自分自身にもあって、あんなふうにひたむきで、不安と希望に満ち満ちていたよなあ、そんな頃にはもう二度と戻ることはないんだなあ、と切ない気持ちになる。もちろん、いまの生活や仕事に不満があるわけではないし、これからやりたいことも、できそうなことも、まだまだいっぱいあるんだけど、あの若い頃独特の「無敵」な感じ、「無謀」な感じ、常識や枠をぶっとばしていく感じは、こんなにも得難いものだったのねーと改めて思うのだ。


で、なぜかここのところ読書も不調で、この3ヶ月の間の読了本ってほんとに少ない。とりあえず、さっき新幹線の中で、ずーっと鞄の中であっためてて、ちょっとずつ読み進めてた『ボヴァリー夫人』を読了。

ボヴァリー夫人 (河出文庫)

ボヴァリー夫人 (河出文庫)

これは、大学2年のときに一度読んでるんだけど、読後の印象はずいぶん違う。
なにしろ大学生のときは、自分にとって「結婚生活」というものはまだまだ遠い世界の話だったはずで、そんな中、凡庸な男との結婚生活に幻滅して他の男たちに走っていく女主人公に感情移入して読んでいたのだ。わかる、わかる、と共感しつつ、人生の教訓を得るような気持ちで読んでいたように記憶している。ところが、今回読み返して思ったのは、この小説の主人公はシャルルであり、エンマの恋人たちであり、オメー氏やルールーなどの男性登場人物たちなのかもしれない、ということ。大学生のときに感心して読んだはずのエンマの胸の内というのは実はあまりしっかりと描かれていなくて、滑稽なほどに愚かで浅はかな女として戯画化されているように思った。だから今回は、エンマについての描写はコメディーとしてしか読めず、一方でこのような愚かな女を信じて振り回されたり、逆に利用したりした男たちの言動に、リアリティーを感じて面白く読んだ。こういう楽しみ方ができるのが、小説の醍醐味だなーとつくづく思う。同時代の女性作家が書いた小説に感情移入しつつ読むのももちろん楽しいんだけど、時代も舞台も遠く離れた設定の、戯画化された登場人物たちの言動の中に、人生のリアリティーを感じられる、というのはすごいことだ。


その他の読了本の感想を書こうと思ったんだけど、さすがに旅の疲れで眠くなってきたので、今日はここまで。おやすみなさい。