川上未映子と大野左紀子

二人の名前を並べてタイトルにしたのは、とくに理由はない。
単に、この二人の作品を読了した、というだけだ。
ただ、結果的にずいぶんと対照的な匂いのするものを続けて読んだことになった、とはいえる。


川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」(群像9月号)読了。
一挙450枚掲載だから、たぶんすぐに単行本になるだろう。
ストーリーとしては、ごくありふれた失恋話で、とくに驚くような展開もない。
登場人物は皆、ごく普通の人たちで、ありがたいことに、心を病んだ人も出てこない。
(主人公がややアルコール依存症気味ではあるが。)
そしてそのような小説を、一気に読ませてしまうのだから、
やっぱり川上未映子は力があるのだろう。
たとえば、主人公が恋心を抱き始めた男性と喫茶店で話をし、店を出て左右にわかれてから呼び止める場面。


  ……わたしたちは帰る方向が逆だったので、左右にふりわけられた階段に向けてそれぞれ歩きだした。
  わたしは途中まで来たところで、思いきってふりかえってみた。三束さんはいままさに角を曲がるところだった。
  それをみたわたしはつぎの瞬間に思わず、あの、とおおきな声をだしていた。
  声が音になったとき、わたしの胸はそれよりもおおきな音をたて、その音は勢いよく全身を駆け巡った。
  構内の低い天井のしたでわたしの声がわんと響き、三束さんがこちらをみた。
  三束さんは不思議そうな顔をみせ、それから体を少し斜めにしてこちらにもどってきた。
  わたしも三束さんのほうへ歩いていった。
  すぐそこまで近づいたときに、わたしは、あの、と言いかけ、それから二度深呼吸をし、
  さっき言い忘れたんですが、物理のこと、と言った。
  はい、と三束さんはわたしの顔をみた。わたしも三束さんの顔をみて、もう一度ため息をついた。
  (58ページ)


引用していて思うのは、この人の文章はやっぱり、表記や句読点をぜったいに触ってはいけない、ということだ。
ブログの画面の都合で、適当に改行しているけれど、これはもちろん、改行なしの一段落の文章。
いいねえ。自己主張がなさすぎて「いらいらする」と言われ続ける主人公(30代後半のフリー校正者)の、
このオドオドした感じ。恋がはじまるときの切実な感じ。
おまえのような猪突猛進の人間が共感できるのか!と言われそうだけど、
いや、できるのです。
さっき言い忘れたんですが、物理のこと、って、すごくいいじゃないですか。
このような場面では、わたしだって言いそうだ。
でもこれは、絶対にかぎかっこ「 」に入れちゃいけないと思うし、
「みた」とか「おおきな」とかを、漢字にしちゃいけないと思う。
なぜそう思うのか論理的に説明せよ、と言われると困っちゃうんだけど、
なんとなくそう感じるのだ。


ただ、この作品はちょっと既視感があって、最初から最後まで「似ている」という感覚が抜けなかった。
「似ている」作品とは、川上弘美センセイの鞄」。
引っ込み思案な主人公の純愛、恋の相手は高校教師、というあたりが似ているうえに、
二人の会話が「ですます」調なので、ますます「似ている」感が抜けない。
最終的に二人の関係が(実質的に)どうなるか、という点では異なるのだけれど、
読後感はわりと似ていて、本質的にはとても近いラスト、という気もする。
でもまあ、弘美と未映子、どちらの川上もわたしは好きだから、いいか。
それと、タイトル「すべて真夜中の恋人たち」と関係するラストシーンは、
ちょっとあざといという気もするけど、なかなかよかった。


大野左紀子『アーティスト症候群』読了。

著者がどういう人かも知らなかったが、
最近の若い人って「アーティスト志望」がやたら多いような気がしていたので、
興味をもって読んでみた。
歯に衣着せぬ物言いで、アーティスト気取りのタレントや、
基礎を身につける努力もせずにアーティストを夢見る若者たちを、ばっさばっさと切っていくのは小気味よい。
わたしは美術に関してはほんとに素人なので、
歴史や背景の説明がどれも新鮮で、「ほー、そうなのか」などと感心しつつ読んだ。
20年間、アーティストとして制作活動を続け、
5年前にそれをぴたりと止めたという著者の体験談も、おもしろく読んだ。
ただ、うっすらとであるが、著者の優越感というか、上から目線みたいなものを感じて、うっとうしく感じた。
そしてたぶんそれは、わたしがごくまれに人から指摘されるうっとうしさに似ているに違いない。
そう思いながら、最後まで読んで、著者がアーティストを止めて選んだ道は、
「女」と「性」について考えることだった、ということがわかり、やれやれ、と思う。
前回のブログにも書いたけれど、
わたしはフェミニズムジェンダー研究などについて、興味はあるしそこそこ本も読んでるけど、
あまり近づきすぎないようにしたい、という複雑な心境がある。
ものすごく共感するように思ったり、とうてい受け入れられないと思ったり。
うまくいえないのだけれど、「女」とか「性」とかってことを、
論理的に解明したり研究したり、っていうのが、どうもしっくりこないのだ。
だから、いろんな事例やそれに対する考え方を読んだり聞いたりするところまではいいのだけれど、
「故に、こうこう……」と結論めいたことが登場すると、頭がとっちらかってついていけなくなってしまう。
やはりわたしは、「女」とか「性」とかについては、
小説の言葉で考えるほうが向いているのかもしれない。社会性のないやつだと言われそうだが。


昨日一昨日と二夜連続で飲み会だった。
どちらもとても楽しい、大人の飲み会だった。
詳しく書こうと思ったのだけれど、同居人がこれから帰ってくるそうなので、今日はここまで。
明日は久しぶりに鎌倉の実家に帰る。携帯本、何にしようかな。