二冊読了

「現代女性作家祭り」で、新旧対決、ってわけじゃないけど、同世代のよしもとばななと、20歳年下の小山田浩子の小説を読んだ。

さきちゃんたちの夜

さきちゃんたちの夜

工場

工場

よしもとばななはデビュー当時からずっと読んでいて、とくに「キッチン」は、最初に読んだときに自分自身も若かったってこともあると思うけど、何度も読み返したものだった。「ムーン・ライト・シャドウ」という作品に出てくる女の子が、テニスの試合で相手を殺そうとしているような表情でプレーしてる、みたいなことが書いてあって、そういうところが妙に印象に残ったりしていた。もちろん、ご多分に漏れず、「キッチン」の主人公がカツ丼をもって走るところなんかも、初読のときに「いいなあ」と思ったと記憶している。


最近は、エッセイ、とくに子どもの話はちょっと苦手、と思ってあまり読んでなかったんだけど、「どんぐり姉妹」がとてもよかったのと、先日珍しくテレビ取材を受けているよしもとばななを見て、なんというか、とても普通な感じで好感を持ったのとで、最新作『さきちゃんたちの夜』を買ってみたのだった。読後感の温かさ、友達のおしゃべりを聞いているみたいな親近感は、健在。いまの30代の「生きづらさ」みたいなものを書きたい、とテレビ取材で言っていたように、30代の登場人物を見守る作者のやさしい視線が、よしもとばなならしくてすてきだと思った。


ただ、その後に、小山田浩子「工場」を読んでしまうと、いまの20代、30代の「生きづらさ」の描き方という点では、まさにそこと同世代の著者のリアリティーには、ちょっとかなわないな、と思ってしまった。いまの20代、30代をとりまく、仕事や家庭の問題は、ばなな世代のわたしたちからすると想像を絶する閉塞感というか、絶望感のようなものに覆われているような気がする。それは、別に小説の世界の中だけのことじゃなく、日頃若い人たちと接していて、なんていうか、自分も若い頃いろいろ悩んだりしたしずいぶんぐちゃぐちゃな人生になっちゃったけど、いまの若い人にくらべたら生温いな、存外平和だったんだな、と思うことが多い。小山田浩子という作家は、以前、文芸誌で、「いこぼれのむし」という中編を読んで、とてもおもしろくて、この若い作家さん、追いかけてみようかな、と思っていた。でも、『工場』が出たときすぐに買わなかったのは、帯に「奇妙な三篇」と書いてあったから。えー、残念、わたしは普通の小説が読みたいのに。この人、普通の小説で、「奇妙なこと」なんか起きなくたって、十分おもしろいのに、と。


書店で手にとり、一ページ目を読んでみて、即購入。文章がうまい。安定してる。ベテラン作家みたい。それなのに、現代の若者の気分のようなものをうまくすくいとっていて、台詞や表現が絶妙。そのあたりは朝井リョウとかにも近いんだけど、朝井の小説についてまわる「甘さ」みたいなのがなくて、「読み終わって元気が出ました!」みたいなおめでたい感想は、まず出てこないだろう。ただ、ひたすら暗くて滅入る話なのかというとそうでもなくて、ユーモラスでもある。そして何よりも感心したのは、「奇妙な話」や「超常現象」が苦手なわたしが、この作品で描かれている不思議なできごとを、すんなりと受け入れられた、ということ。奇妙な小説なのにリアリティーがあって、そういう意味では川上弘美とか小川洋子とかと似ているのかもしれない。この若い作家は、川上や小川を読んで育ったのかな、もしかすると。まあとにかく、最近読んだ現代小説の中ではイチオシ、と思う。


さて、ほんとうは今日の「ガイブン酒場」のことを書きたいのだけれど、だいぶ眠くなってきてしまった。うーん、記憶が新しいうちに書いたほうがいいんだけど、もう限界。トークはとてもおもしろくて、紹介された本は全部買って読みたくなってしまったことと、翻訳家の黒原さんがとてもすてきな方だったってことと、「ガイブン酒場」の今後の予定を聞いて、おお、毎月出席したい、と思ったこと、くらいをとりあえず書いておこう。あと、予想以上に出席者が少なくて、企画としてはこんなにすぐれているのに、もったいないなあ、と思ったことも。