山田詠美と別宮先生

山田詠美『学問』読了。

学問

学問

たいへんよかった。
以前は、山田詠美というのは、どちらかというと苦手な作家だった。
以前、といってもずいぶん前、山田詠美がデビューしたばかりの、80年代半ばのころのこと。
今思うと当時のわたしは20歳そこそこで、
山田詠美が描く黒人男性との大胆な性描写に、ついていけなかったように思う(うぶだったのね……)。


最近になって「あれ、結構いいかも」と思うようになり、
短篇集『風味絶佳』と本書『学問』は、どちらもたいへんおもしろく、
山田詠美は「苦手な作家」から「好きな作家」へと、確実に変わった。
こうなったら『ベッドタイムアイズ』からもう一度、読み直してみようか。
もしかしたら、今の(大人の!)わたしなら、ぐっと楽しめるかもしれない。


しかしながら本書『学問』は、とても感想が書きにくい。
帯にあるとおり、4人の少年少女の生と性を描いているわけで、
彼らの、とりわけ主人公の少女の性の目覚めや心の揺れの描き方が、
もう、見事としか言いようがない。
シチュエーションや描写がそのまま自分の人生とぴったり重なるわけではもちろんないのだけれど、
なんとも言えず甘く、切ない感じが、あああ、そうなんだよなあ、と嵐のような共感を誘うのだ。
自分自身の少女時代に思いをはせるのだけれど、そんなこんなをとてもブログになど書けるわけもなく、
山田詠美の『学問』はたいへんよかった、という以上のことをブログに記すのは、ちょっとはばかられるのだった。
この本をすでに読み終えた人と、ひっそり語り合うのはいいかもしれないけれど。


一ヶ月ほど前に買った別宮先生の本を読了。

裏返し文章講座―翻訳から考える日本語の品格 (ちくま学芸文庫)

裏返し文章講座―翻訳から考える日本語の品格 (ちくま学芸文庫)

いちいち納得することばかり。
実名をあげての翻訳批判はかなり厳しく、皮肉たっぷりで容赦ない。
槍玉にあげられた翻訳者が、ちょっぴり気の毒にならないこともない。
でも、別宮先生は人の悪口が言いたいからこんなことをしているわけじゃない、というのは、
この本をちゃんと読めばすぐにわかる。


本書の中で別宮先生が紹介している、大山定一のことばを引用。
   ……高村光太郎は「明るいとき」という訳詩集の序に「詩の翻訳は結局一種の親切に過ぎない」と書きました。
   僕はこの「親切」は作家に対する深い愛情から出るだけでなく、日本の読者に対する愛情や国語に対する尊敬さえふくんだ
   非常におおきな親切でなければならぬと思います。
   即ち翻訳のことばの一つ一つが、日本語をゆたかにうつくしくするものかどうか、
   却って日本語を混乱させ汚なくするものとちがうかどうか、
   すぐれた翻訳家の仕事は無意識のうちにこのような面にまで親切な配慮がゆきとどいていなければなりますまい。
   (116ページ)


作家に対する深い愛情、日本の読者に対する愛情、国語に対する尊敬をふくんだ非常におおきな親切、か。
編集者の仕事も、似たところがあるね。
あたりまえのことだけれど、この『非常におおきな親切』を常に実行するのは、案外難しいという気もする。