積読本が増えるばかり

先日は京王の古書市で、仕事度70%くらいの感じで本を選び、
5冊ほど購入。また、この週末に西荻の古本や・新刊書店を自転車で巡り、
さらに5冊ほど購入。
さらにこの週末、文芸誌が続々と届き、
「読むべき本」には事欠かない状況となった。


さて、まずは気軽に読める本から……と思い、
山本文緒の中篇集『アカペラ』を読み始めたのだけれど、
うーむ……。
表題作、十代の少女の一人称、ってのが、わたしにはちとあわなかったのかも。
単行本にとりかかる気力がなくなって、
届いたばかりの文芸誌をぱらぱらと読む。


まずは先月号に前半を読んで続きを読みたいなあと思った、
「群像」の鹿島田真希「来たれ!野球部」から。
若い人たちに人気の書き手として名前くらいは知っていたけれど、
作品を読むのは初めて。
青春ものっぽい書き出し・タイトルだけれど、読み進めるうちに内容は実に暗い、ということに気づく。
先月号の「新潮」の村田沙耶香「タダイマトビラ」もそうだったのだけれど、
最近の若い書き手の描く登場人物たちは、どうして皆、一様に、精神的な問題をかかえているのだろう。
多くの場合、共感できぬまま読了するのだけれど、
この鹿島田真希の作品は、登場人物の数が多くてそれぞれに魅力的に、丁寧に描き込まれているので、面白く読めた。
自分がこの作家と同世代だったら、たしかにファンになるかもしれない。


文學界掲載の上野千鶴子最終講義「生き延びるための思想」を読む。
「女は弱者である」という上野さんの出発点が、今の若い女性たちには理解できないかもしれない、という思いにとらわれる。
「女は子どもを産んだとたんに弱者になります」「女は介護すべき老人や、病人を抱えたとたんに弱者になります」と上野さんは語っている。「女は弱者です。弱者だからつるみます。弱者だから支え合います」と。
でも、女の人たちは強くなった。上野さんたち世代の女性たちががんばってくれたおかげで、家事育児介護は女の仕事、という考え方は、少なくとも公には受け入れられなくなったし、現実的にも家事育児介護を女性のパートナーと同程度、あるいはそれ以上にこなす男性も、格段に増えていると思う。
だから、上野さんが渡そうとしているバトン、彼女たちはちゃんと受け取ってくれるのかな、とちと不安になってしまうのだ。
たぶんその間をつなぐべき世代が、わたしたち均等法一期生世代なのだろうけれど、
さらに上の世代から渡されたバトンを握って必死にがんばってきた上野さんの世代と、
彼女たちが築き上げた成果を当然のものとして享受している下の世代の間で、
なんとも曖昧な立ち位置で、うろうろと迷ってしまっているのが、わたしたちの世代という気がしてならない。


上記の話題でぐずぐず書いていたがなかなかまとまらないのでいったん休止。
小谷野敦「グンはバスでウプサラへ行く」は、タイトルの意味がわかるラストがいい。
けど、わたしとしては、書き手の思いがより切実な感じがする「悲望」のほうが好きかな。
つかこうへい「鯖街道」はなんだかよくわからなかった。
池澤夏樹芥川賞採点表は企画としておもしろかった。
途中に柴田元幸との選択基準の違い、という話が出てくるのだが、
柴田さんが「白人でミドルクラスの男性。ごく普通の日常を送り、何の事件もなくて、
書くべきことがないというところからスタートして、小説を書こうと努力している連中が自分は好きなんだ」
と言う。それに対して池澤さんは、「仕掛けを持ちこんで、書くべきことがないのに、あるように書いてきた」
「飛び道具を使って書いてきた」という。
世界文学全集を選ぶときも、「好き嫌いで選んだんだけれど、振り返ってみたら、
ポストコロニアルと、フェミニズム、移動する人々という柱ができていた」と。
なるほど、と思う反面、そうかなーと思う部分も。
わたしの印象では、柴田元幸のほうが好みがエキセントリックで、フシギな雰囲気の小説を訳すことが多く、
池澤夏樹はたしかに舞台設定など大がかりでストーリーも壮大なものが多いけど、
小説の内容そのものは、小説らしい小説というか、
仕掛けの奇抜さに頼らない、小説の「王道」を行くタイプなんじゃないのかなー。


柴田元幸といえば、文芸誌の英米文学の翻訳、柴田さん登場しすぎじゃないだろうか。
柴田さんには「モンキービジネス」というホームグラウンドがあるわけだし、
他にも力のある翻訳者はたくさんいると思うのだけれど。
でもまあ、柴田さんは早いしうまいし、編集者としては絶対の安心感があるんだろうなあ。
あんなに忙しいのに手を抜かないし、下訳は一切、使わないし。
でも、単行本はともかく、雑誌なんだから、
作家と同じくらい翻訳家も、新人や若手をあれこれと採用してみてもいいんじゃないかな−。
でないと、新人や若手の発表の場は、どんどんなくなるばかりだ。
かつて、まだひよこのひよこだったわたしを、連載の翻訳者として使ってくれた、
いまはなき「Esquire日本版」に、あらためて感謝したい。
(そんなことをしているから休刊になっちゃうのだ、ともいえるか……)


ところで、週末にビデオでNHKドラマ「セカンドバージン」を観た。
なかなか面白かった。
鈴木京香が演じる40代半ばの美人編集者(バツイチ)が17歳年下の男と恋に落ちるという設定で、
40代半ば、編集者、バツイチ、とか、自分に都合のいいところだけピックアップして自分に重ねて、
ほー、そういうこともありえるのかも、とドキドキしながら見入った。
どう考えても自分にそのような幸運(?)が訪れるとは思えないが、
今日これから夕食をいっしょに食べる約束をしている50歳の女性二人なら(二人ともかなりの美人だ)、
まあ、あり得ないことではないように思う。
ドラマの中で、相手の男は「著者」の一人でもあるのだが、
会社の電話で、男の著書の装幀の話なんかしているフリをしながら、
「愛しています」「ぼくを信じてください」などと言われている場面があって、
「おー、こういうの、いいなあ、ドキドキするだろうなあ、やってみたいなあ」と言ったら、
同居人から激しい軽蔑のマナザシで見られてしまった。


今夜は同じマンションに住む女性二人と、千歳烏山でイタリアンを楽しむ予定。
最近は職場以外で女ともだちと出歩く機会がめっきり減った(皆無、に近いかもしれない)ので、
このような外出はとても貴重だ。
美人でおしゃれなお姉様方に、若さと美貌を保つ秘訣を伝授してもらわねば!