読了本とシンポジウム
昨日書きかけになってしまったので、読了本2冊の感想を簡単に。まず1冊は、正宗白鳥『文壇五十年』。
- 作者: 正宗白鳥
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2013/01/23
- メディア: 文庫
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2冊目、飯間浩明『辞書を編む』。
- 作者: 飯間浩明
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/04/17
- メディア: 新書
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今日は午後から日本ナボコフ協会のシンポジウムへ。『ナボコフの文学講義』でとりあげられている七本の長編小説のうち、イギリス小説四本(オースティン、ディケンズ、スティーブンソン、ジョイス)の部分について、それぞれの英文学の世界での専門家に語ってもらう、というちょっと変わった趣向のシンポジウム。事前に『ナボコフの文学講義』を読んでのぞみたかったのだけれど、オースティン、ディケンズまで読んだところで時間切れとなって、勉強不足のままシンポジウムを拝聴することとなった。
- 作者: ウラジーミルナボコフ,野島秀勝
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2013/01/09
- メディア: 文庫
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雨の降りしきる中、スタートの2時ぎりぎりに会場到着。でも、人影はまばら。ナボコフ協会ってずいぶんのんびりしてるんだなあ、でも遅刻にならなくてよかった、と思いつつ、あまりの人の少なさに、だんだん不安になってきた。英文学の大御所がずらりと並ぶシンポジウムだというのに、こんなにガラガラでだいじょうぶなのかしら……こっそり携帯で案内を確認したら、2時開場、2時半開演だった。人ごとながら、ほっとする。開演の2時半には、満員御礼ってわけにはいかなかったけれど、それなりに人も集まって、いよいよシンポジウムが始まった。
シンポジウムといっても、4名の登壇者が討論するといった場面はほとんどなく、4名がそれぞれ話をしたあと、フロアからの質問や感想を受け付ける、というスタイル。オースティンは中野康司先生、ディケンズは小池滋先生、スティーブンソンは富士川義之先生、ジョイスは結城英雄先生。どなたも専門的なことはいくらでも話せるのだろうけれど、テーマがテーマなだけに、なるべく学術的にならないように、ナボコフが伝えようとした「小説を読む楽しさ」に寄り添って話をしてくださったという印象だった。なので、わたしは大変おもしろかったし、ああ、やっぱり文学はいいなあ、早く家に帰って小説読みたいなあ、と思ったんだけど、もしかしたら大学院生とか文学研究者には、当たり前すぎて退屈だったかもしれない。質疑応答では若島正先生や沼野充義先生も発言されていて、すごいスターキャストだった。次回は『ナボコフのロシア文学講義』をテーマにシンポジウムをやる、と沼野さんが言っていたので、そちらも興味あるなあ。
外国文学の古典は奥が深いし、研究者の層も厚い。大学院に進んで論文を書いて、となると、どんどん専門化していってしまうんだろうけど、なんとかもう少し、外国文学を楽しんで読む「普通の読者」が増えないものだろうか。単純に「楽しんで読む」というのとは、もしかしたらちょっと違うかな、と思う面もあって、外国文学の古典、しかも長編小説を読むときは、少し背伸びして、作品に「挑む」みたいな気持ち、それで読み終わったときには、「すごいものを読んだ」というような達成感がある、そんな性格のもののような気がする。東野圭吾や伊坂幸太郎もいいけど、少し背伸びしてオースティンやディケンズやドストエフスキーも読んでみると、うおお、こんな世界もあったのか、と思ったりもすると思うんだけどね。(そんな思いから、わたしが担当した高校の教科書のブックガイドには、目立たないようにこっそりと、海外文学の古典をまぎれこませてあります)
それから今日とりあげられた作品はすべて長編(スティーブンソンは中編かな)というのもわたし好みだった。大好きな古典新訳文庫も、新潮クレストも、最近は短編集が多いような気がする。短編好きの読者が多いからだろうと思うけど、わたしは長編小説が好き。ナボコフは文学講義の最後に語っている。「この講義でわたしが明らかにしようとしたのは、これらのすばらしい玩具――文学の傑作の仕組みということであった。わたしが願ったことは、小説を読むのは作中人物になりきりたいというような子供じみた目的のためでも、生きる術を学び取りたいというような青二才めいた目的のためでも、また一般論にうつつをぬかす学者然とした目的のためでもない、そういう良き読者にきみたちをつくりたいということだった。小説を読むのはひとえにその形式、その想像力(ヴィジョン)、その芸術のためなのだと、わたしは教えてきたのである。」(下巻398ページ)
あと、今日のシンポジウムについて言えば、シンポジストの重鎮の面々が、先日読んだ正宗白鳥にも似て、老獪というか、大人というか、いい感じで力が抜けていて、膨大な知識と経験に裏打ちされた余裕のようなものを感じた。一人、結城先生だけは、わざとのようにやんちゃな感じで、ナボコフのジョイス論を章ごとに具体的に批判していったのだけれど、それはそれでまた、険悪な「論争」ではなくて、もうこの世にいないナボコフに対してジョイス研究者が「なんだよ、ちゃんと読めてないじゃん」とからんでるみたいな感じで、わたしは楽しかった。
会場で、一昨年定年退職した恩師に会った。「『英語青年』のインフォメーション欄を見てこの会のことを知った」とおっしゃっていた。と、ここまで書いたところで、同居人が帰宅。今日のところは、ここまで。