ドストエフスキーは何歳向けか

昨日から、古典新訳文庫のドストエフスキー地下室の手記』を読み始めた。非常におもしろい。
これを読んだらいよいよ大事にとってあった『カラマーゾフの兄弟』に突入し、
7月22日のシンポジウムまでに読了するべく、「ドストエフスキー漬け」の日々を送る予定である。


今日、職場の先輩(50代後半・男性)に、「この夏は、昼間は○○○○漬け(ある児童文学作家)、夜はドストエフスキー漬けになりますよ〜」
と言ったら、「若いね〜」と言われた。
その方からすると、ドストエフスキーは高校〜大学くらいに耽溺する作家、というイメージがあるらしい。
それで思ったのだけれど、作品にはそれぞれ、「読むのに適している年齢」というのがあるものだろうか。
絵本や児童文学の読み物などをみていると、よく、「○年生向け」「○歳〜○歳向」などという表示が入っている。
ドストエフスキーは、やっぱり若いころに読んでおくべき本だったのかなあ、と思ったりして(今となっては遅いんだけど)。


わたしが『地下室の手記』を読んでいたら、同居人が「高校のとき、それで学校の読書感想文を書こうとして苦労した」
という話をしていて、へえ、そうなんだ、と思った。
たしかに、この極端に自意識過剰な感じって、高校生くらいのときに読んだら、思いきり共感しそうな気もする。
でも一方で、高校生のときの私だったら、ここに出てくる「やり手タイプ」のイメージが、ちゃんと思い描けなかったかもしれないなあ、とも。
そういえば、わたしは何を思ったか小学生のときに、トルストイの『アンナ・カレーニナ』に挑戦し、
一応、最後まで読んだものの、何がなんだかわからないままで、
20代後半に読み返して、「うわあ、こんなに面白い話だったんだ!」と大興奮したことがある。
同じく小学生のときに読んだ『嵐が丘』は、大人になってから読み返しても、あまり印象は変わらなかったのだけれど。


以前に野崎歓さんが、「外国文学者のくせに、恥ずかしいことに、だれでも知っている外国文学の名作、みたいなのを、意外に読んでいないのです」
と告白していておかしかった。たしかに、ドストエフスキーとかディケンズとか、なんとなくストーリーは知っているけれど、ちゃんと読んでない作品ってすごく多くて、
でもそれをおおっぴらに口にするのは恥ずかしいので、新訳で読みながら「再読」のようなふりをする、ってことはある。
いったいだれを相手に見栄をはってるんだ〜!!って感じだけど。
憧れの野崎さんにならって正直に告白すると、わたしはドストエフスキーを一冊も読んでない(『悪霊』を途中まで読んで挫折した経験あり)。
中学生以降、ぱったりと翻訳小説を読まなくなったために、ドストエフスキーカフカ、フォークナーなどが、ぽっかりと抜けているのだ。
フォークナーはこの1、2年に何冊か読んで、「ああ、こんなにおもしろいものを読まずにいたなんて、なんてもったいなかったんだろう」と思った。
ドストエフスキーも、そう思うような予感がある。
わたしにとっての「ドストエフスキー適齢期」は、今、なのかもしれない。