仕事から少し離れて

先週は熊本→長崎→小倉という九州横断の出張。
自分のつくった本のいいところ、悪いところを指摘してもらうための行脚だった。
見かけによらず人見知りするので、初めて会った人たちを前にかなりどきどきなのだけれど、
気づくと夢中になって、目の前の本のことや、これからつくる本のことを語り合っている。
相手のことをもっと知りたいと思うし、それには時間が足りない、と思う。
この先何度か会う機会がある人もいるだろうけれど、ほとんどの人が文字通りの一期一会。
まる3日、各地でしゃべり続けて、夜ホテルにたどり着いて爆睡、という日々を送った。
帰りの飛行機の中で、1冊読了。

日本人のための世界史入門 (新潮新書)

日本人のための世界史入門 (新潮新書)

話題がひょいひょいと飛んでいくので、読み始めたときはちょっと落ち着かなかったのだけれど、
途中からペースをつかんで、というか、理解しようとか考えないでひょいひょいに乗っかっていけばいい、ってことに気づいてからは、
「検定教科書」の対局にあるようなこの世界史の入門書を楽しく読み進めることができた。
全編を通じて著者の好き嫌いがはっきりと書いてあって潔い。(検定教科書ではあり得ないことだ。)
読んでいるときはここで褒められている本を読んでみよう、映画を観てみよう、などと思ったりするのだけれど、
その数があまりに多すぎて、読み終わったときには何ひとつ覚えていない、という状態になってしまったのは情けない。


金曜日の午後は出社してもよかったんだけど、そんなわけでくたびれてしまったのと、
ありがたいことに年下の同僚たちが「だいじょうぶ、休んでください」と言ってくれたので、
お言葉に甘えて空港からまっすぐ自宅に戻り、家でだらだらする。
仕事のメールをすぐに処理したほうがいいのはわかっているけれど、あえて週明けまで放置することに決める。


土曜日は翻訳学校時代の仲間で、出世頭のIさんと会った。
Iさんとは同い年なので、「わたしたちももうじき50歳だねえ」などと言いながら、
翻訳学校のことや英米文学のこと、仕事のこと、家族や健康のことなどを話す。
Iさんは一見したところ才色兼備・良妻賢母なのだけれど、実は非常に個性的。
どんな話題でも、こういうふうに言ったらふつうはこんなふうに返ってくるかな、と思っていることを、微妙にはずしてくるのだ。
美味しいイタリアンをいただきながら(ケーキ・デザートつき)弾丸のようにおしゃべりをしてから、
Iさんに連れられ、下北沢B&Bという、ちょっと変わった書店に行った。
ちょうどイベントをやっていたのと、ケーキとデザートでおなかがいっぱいだったので、本を眺めるだけで帰ってきたけれど、
この店は本を読みながらビールが飲める、というのが売りらしい。
最近はやりの「テーマ別」の本の並べ方をしていて、品揃えもなかなか。
あるコーナーにはIさんの訳書がずらりと並んでいたので、「自分の訳した本だってカミングアウトしてるの?」と聞いたら、
「とんでもない。そんなことしたらスーパーの帰りに買い物袋さげて寄れなくなっちゃう」という返事。
こういう個性的かつ魅力的な棚をつくっている本屋さんに選んでもらえるということだから、
Iさんはほんとうに、翻訳家としてわたしの手の届かないところまで行ってしまったんだなあ。


Iさんからわたしたちの母校である翻訳学校の近況を聞く。
10年前にいまの会社の入社試験を受けることに決めたとき、「一度会社員になってみるのもいいんじゃない」と言ってくれた先生の顔を見たくなり、
メールを送ってみた。仕事のごたごたから少し離れて、全然違う世界の人と話してみたいと思ったからかもしれない。
月曜日の夕方に会う約束をした。


週明け月曜日。会社は相変わらず、ざわざわと落ち着かない雰囲気。今日も大きな人事異動が発表になった。
ここのところ、みんなが納得できる人事、だれにとってもハッピーな配転、なんてない、ということを思い知らされる毎日だ。
自分に直接関係ない人事でも、ひとりひとりの胸のうちを思い、共感するあまり、精神的に不安定になって泣いたり落ち込んだりしたこともあった。
でも今日は、夕方から翻訳学校の先生に会うんだ、と思うと、会社ばかりが人生じゃない、という気持ちになれて、
比較的冷静に上司の話を聞くことができた。
同僚がみんな残業している横を、ぺこぺこ頭をさげながら通り過ぎて6時台に退社。先生の事務所へ向かった。
先生と話していて、思い出したのはいまの会社に入る前の自分の生活。
いくつもの仕事をかけもちして死ぬほど働いていたわりに、収入は不安定で、いつもかつかつだった。
週に3日、神保町の別の編集プロダクションで働き、残りの週3日、先生の手伝いをしていた時期があった。
週3日の約束がやがて週4日になり、そのうち別の編集プロダクションの勤務日も、仕事が終わったあとそのまま続けて深夜まで先生の事務所で働いたりしていた。
我ながら、よくがんばったなあ、と思う。


先生に、母校の翻訳学校への愛着があることと、仕事から少し離れたことをしてみたい、ということを話して、
いまの会社の仕事に差し障りのない範囲で自分にできることがあれば、手伝わせてほしい、と伝えた。
本を読んだり、ブログを書いたり、母校の手伝いをしたり。収入にはむすびつかないそんなこんなが、自分を精神的な危機から救ってくれることもある。
19歳から27歳の8年間、完全なボランティア(無給)で高校のテニス部のコーチをしていた。
あのころ、あまり迷いはなかったように思う。やりがいがあったし、楽しかったし、仲間もいた。


まあ、20代の頃と今とでは、いろんな条件が違うし、同じようには考えられない。
でも、本質的な部分、自分自身がやる気にさえなれば、世間一般の評価や収入などはわりとどうでもいい、っていういい加減な生活態度は、
あまり変わっていないようだ。
まずは目の前の雑務をざっくりと処理しつつ、余暇には心身ともに会社の仕事から離れて、なんでもやりたいことをやってみようと思う。
「とにかくゆっくり休みたい」と言っていたときから比べると、これは格段の進歩ではないか。


明日はテニススクールの仲間と初めての飲み会。楽しみだ〜!