ツイッターとブログの両立

翻訳学校の手伝いのために、軽い気持ちでツイッターを始めたのだけれど、「読む」「書く」ともに、結構時間をとられて、ついついブログのほうがおろそかになっている。しかも、自分のやり方がまずいのかもしれないが、ツイッターは、一生懸命読んでるわりには、結局、ふーん、という感じで終わってしまって、ブログのいいエントリーを読んだときみたいに、「ああ、いい文章を読んだな」「おもしろい考え方だな」「ためになったな」と思うことは、あまりない。みんな、こんな感じなのかな。


なんていうか、ツイッターで飛び交っているつぶやきをひとつひとつ読んでいると、それだけで人間関係についてはおなかいっぱい、という感じになって、あまり人と話をしたくない気分になってしまう。これってわたしだけだろうか。やっぱりツイッターのもつ魔力っていうか、病みたいなものかしら。ツイッターで繰り広げられている濃厚な人間関係と、それに入っていくことのできない疎外感があって、でも、自分が読んでいるツイッターの人たちは疎外しようなんていう根性の人じゃないこともわかっている。だから、勇気を出して自分もその輪に入っていけばいいんだ、と思うこともあるんだけど、ほんとうにその仲間に入りたいのか、そのことにお前はほんとうに興味があるのか、と自問してみたりもする。


先週はわりと暇だった。昨日は法事に行った。今日は一日家にいて、「さきちゃんたちの夜」を読んだ。たしかに、こんなことはブログで書いてもツイッターで書いても同じだから、「日々の記録」という意味では、ツイッターで十分なんだろうなあ、とも思う。でも、小学校4年から大学を卒業するくらいまでずっと書き続けていたアナログな「日記」ってやつは、たいていは一日の終わりに、そのとき思ったことを、人に見せる予定もなく読み返すこともなく、ただずるずると書いていて、これが結構自分のストレス発散や心と頭の整理に役立っていたような気がする。


やっと仕事が一段落したから、これからのことを少し本気で考えようと思っている。つい先日、わたしが十一年前にいまの会社に就職するときにたてた目標というか夢のようなものが、予想を上回る形で実現した。内容の詳細をここに書くことは差し障りがあるのでできないけれど、もう半年も会社に来ていない上司と、「ラケットを持った赤鬼」、母校のテニス部顧問とに、胸を張って報告できるようなことだ。先日、テニス部の後輩に会ったときに、「今度の仕事は長続きしてますね」と言われたけど、まったくそのとおり。自分でもびっくりしている。なぜ今までの仕事はすぐに投げ出したのに、いまの仕事はこんなにいろいろつらいことがあっても投げ出さないんだろう。周囲に恵まれた、同居人が同業者、収入の安定、とか、理由はいろいろ思いつくけど、やっぱり最終的には、編集の仕事が好きなんだろうなあ。総合商社の事務より、中学校国語教師より、フリーランスの翻訳業より、たぶん編集の仕事が自分にあってたんだろう。あ、専業主婦って時代もあったっけ。これがいちばん向いてなかった…。


毎年7月頃に仕事が一段落したとき、必ず思い立つのが、「ダイエット」である。今年もまた、「ダイエットしたい」気分が盛り上がっていて、食事と運動についてあれこれやろうとしている。んだけど、全然痩せない。痩せるはずないよ、と同居人が言う。何も努力してないんだから。うう、悔しいけどそのとおり。同居人は最近、朝起きてジョギングしていて、少し痩せてきたみたいだ。えらすぎる。だって、朝起きるのつらいし、朝っていったって十分暑いし。週1回のテニスレッスンは欠かさず出席しているけれど、これだけじゃ、「定期的な運動」にはあたらないよなあ。ってわけで、今日は一日家にいて本を読んだり頼まれ仕事をしたりしていたので、夕方、マンション内のジムに一人で行って、エアロバイクを40分こいできた。えらーい。


それでは、読書に戻ります。今日は同居人がいないので、テレビがついてなくて静かだ。