二つの母校

先週は母校に関係するいいニュースが二つあった。というと、普通は卒業大学を想像するかもしれないけど、この二つの母校は、30年以上前に卒業した高校と、10年以上前に通っていた翻訳学校のことだ。


もう4月になったので解禁だと思うので書くけれども、この4月から、わたしの母校でわたしが編集担当した教科書を使ってくれることになった。高校時代の自分やまわりの友だちのことを思い浮かべながら作った教科書なので、母校での採用はそれだけでもほんとうにめちゃくちゃ嬉しいことなのだけれど、先週、営業の担当者から電話があって、担当の先生が生徒たちに、「この教科書は君たちの先輩が心をこめてつくった本です」と言ってくれた、というではないか。高校に入学して、はじめて教科書を配られたときの高揚感とか、進学校の授業についていけるだろうかという不安とか、30年以上前の感情がうわあっと思い出されて、その先生の言葉を(まだ入学したてだからきっと)真剣なまなざしで聞いている生徒たちの姿を想像したら、ああ、大変だったけど、いろいろあったけど、10年間教科書の仕事をしてきてほんとによかった、と思った。


もちろん、編集者というのは黒子だから、わたしがやってきたのは、多くの先生方の提案や意見を聞いて、それをまとめて形にしたにすぎない。それでもやっぱり、あの本にはあちこちに、ちらっちらっとわたしの素顔がのぞいていて、自分としてはちょっと恥ずかしいくらいだ。もしかしたら、この小説退屈! とか、この評論わけわかんない! とか、生徒たちは思うかもしれないけど、そういう思いも含めて、あの年頃の文章との出会いってかけがえのないものなんじゃないかな、と思う。


で、もう一つの母校のニュースは、いまの仕事に関係するもの。あまり詳しいことは書けないのだけれど、簡単にいえば、早速、翻訳書の仕事を担当させてもらえることになり、早速、恩師とも言うべき人に翻訳を依頼することができた、ということだ。これはほんとうに、神様の贈り物としか思えないのだけれど、この企画にはこの人が日本一適任だろうと思われるほどのベストマッチで、会社だって文句のつけようがない人選なのである。これで、翻訳の質については何の心配もなくなったのだが、問題は締め切り。異動後の初仕事で失敗するわけにはいかないので、先生、締め切り守ってください、と、祈るような思い。(そういえば以前、母校の別の恩師に、教科書に載せる短編の翻訳を依頼したことがあった。締め切りを守らないことで有名な先生で、案の定、待てど暮らせど原稿が届かず、しまいには「先生、このまま先生の原稿が入らないと、わたしは会社をクビになります」と泣きついたら、翌日原稿が届いた、ってことがあった)


今日はたけのこを煮たり、テレビの歌番組を見ながら同居人と二人であれこれ論評したりと、ドメスティックな休日を過ごした。どうも読書が進まない。さらに、先日同居人が「いまいちじゃないかな」と言っているのを無視して購入した新書を、小谷野先生がツイッターで「駄本。」と言い切っているのを読んで、がっかり。二人の目利きがNG出してるんだから、まあ、間違いないだろうな。ちょっと最近、軽い本ばかり読んでるから、ここは追悼の意味もこめて、ガルシア=マルケスでも読むか。『百年の孤独』がめちゃくちゃおもしろかったのに、ほかの作品ひとつも読んでないから。