熊本のホテルにて

出張で熊本に来ている。明日も朝から出動なので早く寝るべきなんだけど、読了本のメモなどを少しだけ。


あとがきから読んだ、由良君美の本を読了。

みみずく古本市 (ちくま文庫)

みみずく古本市 (ちくま文庫)

由良先生の授業を受けたことがあるという阿部先生のあとがきは、いつもの阿部先生の文章よりも少しだけウェットで、わたしはちょっと心を動かされ、批評理論は苦手だけど、この本を読んでみる気になった。


「こんなふうに知そのものを妥協なしに、不器用なほどに愛してしまった人の文章なのである。」と、あとがきにはあった。知的、という言葉とはほど遠い私だが、知的なものへのあこがれはある。がんばって読み進めるうちに、少しは近づけるかもしれない、と思った。で、結果はどうかというと、残念な感じに。わたしが本書の中で、へえ、と思ったのは、たとえば「吉田健一の不思議な文体」や、「雑書主義者の弁」のような、身辺雑記ふうの文章ばかりだった。でも、別にいいんだ。例えば後者の、思想にしろ文学にしろ、主著ばかり読んでいてはだめ、というくだりなど、自分が実行できるかどうかは別として、かっこいいなあ、と思う。


主著ぐらいは原典に即して明るくあるべきだし、時には暗記すべし。だが、それに終わってはダメ。雑書こそ発送源として親しめ。これがわかると、自分の生き方の方針が固まった。英文科に進んでも、その方針を自分で貫いた。書誌にもない雑書奇書のなかに玉と石とを分けてゆく眼を自分のリスクで養うこと。(363ー364ページ)


そして最後に、いま読んでいる雑書をあげて、「こういう雑書が紛れ込んでいない図書室など、ロバの尻尾。」としめる。わたしの知へのあこがれは、あこがれのままつのるばかり。


次に読み始めた本も、また博識の方の手によるもの。ただ今度は、博識の先生が、専門外の話題で、普通の人にもわかるようにやさしく書いた、というていの新書だ。早く読みたいけど、今日のところはもう寝ないとまずいので、明日に持ち越し。アイパッドのキーボードをおいてきてしまったので、思った以上に入力に手間取ってしまった。もう2時だ。おやすみなさい。明日は長崎に向かいます。