イギリス祭りはつづく

連休前最後の出勤日、気の重い打ち合わせがあり、少し気の晴れる訪問者があり、
アップダウンの激しい1日だったのだけれど、
先の訪問者をお見送りしてすぐ、連休中の仕事の道具を鞄に詰め込み、ABC六本木に向かって走った。


15分ほど遅刻して会場へ到着。
小川さんと木村さんの翻訳談義の真っ最中だった。
小川さんのお話を聞くのは2回目だし、著書も読んでいるし、
翻訳家の人のお話は、ほんとうにもう、びっくりするくらいたくさん聞いているので
正直なところ、目新しい情報というか、へえ、と思うようなことはなかった。
こだわりも、工夫のしどころも、悩みも、何を聞いても、そうそう、とうなずける。
遅れたせいもあって、40分間のトークはあっという間に終わってしまった。
全体として、木村さんが先生筋の小川さんの話を聞く、という設定だったため、
木村さん自身の話というのはあまり聞けなかった。
ただ、木村さんの翻訳が「スピードがありすぎる」「速すぎる」という話が出て、
ふーん、どういうことかなあ、と思った。のだが、その後、モームの翻訳を読んで、なるほどこういうことか、と思った。


二人の話を聞きながら、
あー、この人たちはほんとうに本が好きで、翻訳がすきなんだなあ、と思った。
そして、日本の文学ものの翻訳業界って、こういう人たちによって支えられているのだ、ほんとに。
文学の翻訳は、まったくお金にならない。
お二人のような大学の先生とか、技術翻訳やエンタテイメント翻訳で生計をたててるとか、
家内に別の稼ぎ手がいるとか、あるいは霞を食べても生きていけるという特殊な肉体を持っているとか、
なんらかの形でお金のことを考えなくていい、という条件がそろわないと、
文学の翻訳にはなかなか取り組めない。
そして、大学の先生などのように、生活のためのお金は別の方法で稼いでいる場合はなおさら、
よっぽど翻訳が好きじゃないと、二人がトークショーで言っていたように、
「自分がおもしろいと思った本を、ほかの人にも読んでもらいたいと熱烈に思う」というようなメンタリティーがないと、
とても続かないだろう。
本が好きで、翻訳が好きで……というお二人の話を聞いているうちに、会社での憂鬱な打ち合わせのことはすっかり吹き飛んだ。


トークのあとはサイン会。名前を書いてくれるというので、例によって小賢しくも、出版社名の入った自分の名刺を差し出す。
翻訳ものや文芸出版とは無縁の会社・部署なので、名刺を出すのはやや詐欺めいた気分になるのだが、まあ、嘘ではない。
少しは印象に残るかもしれないし、もしかしたら、もしかしたら、いつの日か、いっしょにお仕事をさせていただく日がくるかも、と自分に言い訳をして、
まずは木村さんに、おずおずと社名入り名刺を出した。
するととたんに、「あ、北烏山だよりだ!」と言われてびっくり。
なんと、前にこのブログで、「トークショー行くぞ!」と書いたのをごらんになったそうで、
「書いてくれてありがとう」とまで言われてしまった。
小川先生は、8年前に母校の翻訳学校のセミナー講師をお願いしたときのことを覚えてくださっていて、
「(古典新訳文庫の)『緋文字』、楽しみにしています」と言ったら、
「原稿催促されてるみたいだ」と笑っていらした。
うー、読まれる可能性があると思うと、なんだか今までみたいに無邪気に感想を書けなくなってしまいそうだけれど、
でもまあ、一応、匿名のブログなんだし、これまでどおり、何に対しても正直な感想を、のびのびと書くようにしようと思う。
何しろ、このブログをかきはじめた一番の目的は、自分のストレス発散!だからねー。
遠慮してたら、ストレス発散にならないから。
(そういえば、なんとこの連休のあいだに、20万アクセス突破!! ぱちぱちぱち!
 いつものぞいてくださっている方、時折のぞいてくださる方、たまたまのぞいてくださった方、
 皆様、ありがとうございます。これからもこんな調子で、続けていくつもりです。)


で、イギリス祭り。
小川先生の本はビアスアメリカ作家)だったので、イギリス祭りってことで、木村さん訳のモームを読み始めた。

マウントドレイゴ卿/パーティの前に (光文社古典新訳文庫)

マウントドレイゴ卿/パーティの前に (光文社古典新訳文庫)

冒頭の「ジェイン」を読んですぐに、トークショーで話題になっていた「スピードがですぎる」ということの意味がわかった。
会話の多い作品だということもあり、どんどんテンポがあがっていく。


  「同世代に五回も言い寄られたことないもの。というか、言い寄られたこと自体ない」
   そういいながらくすくす笑った。さすがにタワー夫人の怒りも絶頂に達した。
  「何がおかしいのよっ。もーたくさん。頭がいかれちゃったのね。ひどすぎるわ」
   限界だった。夫人はうわっと泣き出した。この年で涙が悲惨なのはわかっている。
   一日中、目が腫れ、見られたざまではない。だが、どうしようもなかった。かまわず泣いた。
   (27ページ)


よくも悪くも、「いまふう」の翻訳。明らかに「新訳」である。
「マウントドレイゴ卿」「パーティの前に」「幸せな二人」「雨」「掘り出しもの」と一気に読み終え、
訳者の解説を読んで、なるほど、と思った。
訳者はモームの短篇の中から、ある明確な基準をもって、この六作を選んでいる。
それは、「ミステリ」である、ということ。
誤解を恐れずに言うならば、モームの通俗作家らしい部分がクローズアップされた、わかりやすいオチのある作品ばかりが並んでいるのだ。
わかりやすいストーリーに、イギリスの社交界の様子や、帝国主義時代の植民地の様子などのスパイスがきいていて、
イギリス好き、短編小説好きには、たまらない「おやつ」という感じ。


どの作品もそれぞれに面白いが、わたしが特に好きなのは、「パーティの前に」という短篇。
これは、「短篇小説」のお手本のような構成、仕掛け、キャラクター作りでできあがっている作品で、
お芝居の脚本にしてもおもしろいだろう。
高校の国語の教科書に載せて、「この物語を脚本にしてみましょう」という「課題」をつけたいくらいだ。
(新学習指導要領では、「物語を読んで脚本にする」という活動を推進しているノダ……コメントは差し控える。)
もっとも、一見穏当そうな書き出しのこの小説を掲載する教科書なんて、絶対に、万にひとつもないと思うけれども。


というわけで、イギリスの「おやつ」を堪能したあとも、まだまだイギリス祭りは続く、というわけで、
次に読み始めたのは、プリーストリー『イングランド紀行』。

イングランド紀行〈上〉 (岩波文庫)

イングランド紀行〈上〉 (岩波文庫)

素晴らしい、の一言。
こういう本を読むために生まれてきたのです、と言いたくなるくらい。
本の評価って、そのときの自分の状態にひどく左右されるので、
いまの自分の精神状態に合ってるということも大きいのかもしれないが、
その分を少し差し引いても、今まで読んだ紀行文学の中で、ベスト1といえるかもしれない。
ほお、とか、ふふん、とか思ったページの角を折っていたら、本が折り目だらけになってしまって、
どこを引用したらいいのかわからないくらいだ。
司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズにしても、チャトウィンの作品群にしても、
すぐれた紀行文学というのは、ある特定の土地や風物を描いているようで、
実は普遍的な人物や思想や感情を描いている。
それが決して押し付けがましくなく、説教調でも、教師的でもない。
膨大な知識をちらりちらりと見せながら、大事なことを言うときこそ、ユーモアたっぷりにさりげなく語る。
うう……かっこよすぎる。惚れてまうやろー。
まだ上巻の途中なのだが、この本はじっくりと時間をかけて味わいたい。
ということで、今日は久しぶりに阿佐ヶ谷の書原と書楽に行ったので、
いい気分であれこれと本を購入。
「イギリス祭り」の一貫で、南條先生の本を2冊購入。
さらに、5月15日に講演を聴きに行くつもりの藤井省三魯迅』と、
田村さと子『百年の孤独を歩く ガルシア=マルケスとわたしの四半世紀』を購入。
ああ、「外国文学翻訳者祭り」だ。


先日、鎌倉の実家に帰ったとき、今年77歳になる母親が、
「読書の趣味はいくつになってもできるからいい。年をとると読書の趣味があることのありがたさがわかる」と言っていて、そうかあ、と思った。
母はさらに、「近所で読書会とか読書サークルがあったらいいのに。お友達もできるし」などと言っていて、
そのパワーに圧倒された。
ちなみに、今回もまた、「何を読んだらいいか」と聞かれたので、「カズオ・イシグロは読んだ?」と聞いたら、
「ああ、『わたしを離さないで』というのが話題になってるみたいだから読もうかと思ったんだけど、
なんだかクローン人間とか出てくる変な話みたいで、ちょっとどうかなと思ってたところなの」という返事。
母は以前に、『日の名残り』を読んで感心していたので、
「『日の名残り』『ブライズヘッドふたたび』がおもしろかったあなたにはおススメです」と言っておいた。
うちの母もイギリス好きなのだ。


文芸誌4冊が届く。
先日出た「モンキービジネス」ももちろん買う。
オースターと柴田元幸の対談がおもしろかった。
国内でも独特のゆるい空気で聴衆をなごませ、楽しませてくれる柴田さんだが、
外国での英語での対談ということで、個性がパワーアップしている感じだ。
ちなみにオースターはあまり得意ではないので、そのほかのページは未読。
文芸誌も少しずつ拾い読み。
がんばってどんどん読まないと、すぐに次の号がきてしまう。
読みたい本がありすぎて、時間が足りない。
いまは仕事も何もかもすべて投げ出して、ただ、本を読み続けたい気分だ。
「イギリス祭り」はつづく。