ロマンスカーで苦役列車

またずいぶん間があいてしまった。
わたしの仕事はこれから2ヶ月ほどがピークになる。
今年は午前様帰宅の回数を減らし、宿泊残業ゼロを目指すつもり。
そろそろ無理がきかなくなってきたので。


さて、先週末に日帰りで箱根の温泉に行ったのだが、
往復のロマンスカーの中で、「新潮」に掲載されていた、
芥川受賞作2作を読んだ。
行きに朝吹真理子「きことわ」、帰りが西村賢太苦役列車」。


行きの読書は正直言ってつらかった。
舞台になっている逗子・葉山は、わたしにとっては思い出深い土地。
あらすじを聞いたときは、お、すきかも、と思ったのだけれど、
まったく合わなかったみたいだ。
設定にも描写にも、まったくリアリティーが感じられなくて、
いや、そういうリアリティーとかを狙っている小説じゃないと言われればそうなのだろうが、
それにしても描写がもったいぶっていて、全然頭に入ってこない。
物語にのれない、という感じだ。
でも、芥川賞をとるくらいだし、「よかった」と言っている人もいるので、
単にわたしとの相性がよくなかった、ということだろう。
わたしは若い美人女流作家には点が辛いからねっ。


一方、帰りの読書は、くうううう、と唸りたいくらい楽しかった。
西村賢太という作家は、身近な本読み人たち(男性)があまりに褒めるので、
なんだかちょっと意地になって読まずにいて、
実はこの「苦役列車」が初西村賢太
これを読む限り、かなり好きな作家だと確信した。
ただし、念のために付け加えておくと、
作家としてはすごくいいと思ったが、
主人公の男(作家本人とかなり重なる)は、サイテーだ。


もちろんこの小説は、わたしの大好きなジャンルである「ダメ男小説」だ。
でも、普通の「ダメ男小説」っていうのは、
ああ、そうはいっても、この男はこんなところが愛しい……と思えるように書いてあるものだ。
ところがこの小説の主人公は、まあ、徹底的にいやなやつである。
傲慢だし身勝手だし女性蔑視だし。
こんな不愉快な男が主人公なのに、どうしてこんなにおもしろいんだろう、と考えるに、
やっぱり文章がうまいのだと思う。
もちろん、美文だということじゃなくて、
描写にいちいち意味があるっていうか、
そこはそのことを書かずにはいられないよね、というような、
説得力のある、必然性のある描写なのだ。(と、少なくともわたしは思う。)
たとえば、主人公が日雇いの仕事先へ向かうバスの中の描写がある。
途中から乗り込んできた肥満体の中年男が、
買ってきた惣菜パンをむしゃむしゃ食べ始めて、
空腹の主人公は「いきなり怒鳴りつけてやりたい衝動にかられ」る。だが、
「……またチラリと眉根を寄せた目を投げると、
 ちょうどその男はサラダの容器に分厚い唇をつけ、
 底に溜まっていた白い汁みたいなのをチュッと啜り込んでいるところだったので、
 これに彼はゲッと吐きたいような不快を感じ、慌てて窓外へと視線を転じた。」
 (13ページ)
この、底に溜まっていた白い汁みたいなのをチュッと啜る中年男の描写!
ここだけ引用してもわからないと思うけれど、
この小説全体のトーンとぴったり合っていて、
こういうのを読むと、くうううう、と唸りたくなるんだよね−。


というわけで、私的芥川賞対決は、西村賢太の圧倒的勝利に終わったのでした。


さて、今日は30%くらい仕事がらみで、某有名大学大学院の授業を聴講に行った。
授業そのものも大変おもしろかったのだが、
授業後の飲み会にも参加させていただいたので、
「新しくて元気なワイン」みたいな大学生・院生とお話ができて、
楽しかったし、刺激にもなった。
自分はこれから何者にでもなれると信じている、ある種の傲慢さがまぶしい。
一方で、そういう若者たちの間に入って、気さくに学生たちと語らう教授陣がいる。
先生方のキャラクターによるところも大きいのだろうけれど、
いやあ、このことのすごさにきっと学生たちは気づいていないだろうなあ。
ましてや教授がちょこまかと動いて、注文をとったり、精算をしたり。
わたしが学生のころはちょっと考えられない構図だ。
先生方とも少しお話をしたけれども、
それはもう、日本を代表する外国文学者たちなわけで、
私なぞはもう、こういうときに聞かなきゃソン!とばかりに、
次から次へと質問を繰り出してしまったので、
先生はちょっと辟易したかもしれない。
でも、仕事がめちゃくちゃ忙しい中で、無理して出かけていった甲斐はあった。
また少しだけ、翻訳をやっていたころのことを思い出して、あーあ、と思ったりもした。


さて、明日も仕事だ。頭を切り換えて、会社員としての責務を果たさねば。
おー。