早月葉子という女

ここのところものすごく忙しくて、平日は残業、休日出勤も続き、
全然、ブログを更新できなかった。
沖縄から帰ってきてすぐに、『或る女』を読了。

或る女 (新潮文庫)

或る女 (新潮文庫)

前回書いたとおり、すごい小説だった。
もしかしたら日本の小説オールタイムベスト10に入るかも、というくらい、
いれこんで読んだ。
読み終えてからしばらく、他のちゃらちゃらした本なんて読めない、という気分になった。


この葉子というとんでもない女が、わたしは好きだ。
なぜならこの女は、浅はかだから。
自分では賢いつもりで、男を手玉にとって世の中をうまく渡っているつもりなんだけど、
じつはやってることはめちゃくちゃ。
自分の浅はかさに気づいているようで、本当にはわかっていなくて、
「どうしてわたしがこんな目にあわなくちゃいけないの、わたしは何も悪くないのに」的な発想から逃れられない。
そうだ、そういう女はぜったいに、「世間並みの小さな幸せ」を得ることができるはずはないのだ。


わたしは常々、美貌の女主人公というものにほとんどシンパシーを感じないのだけれど、
この葉子という美女は別。
葉子は人生の分岐点で必ず、はたでみていると「ああ、そっちにいっちゃだめ〜」という方向に、
自分の進路を定めてしまう。それも、自分だけの勝手な理屈をつけて。
葉子の人生は、客観的にみればぐちゃぐちゃどろどろだけれど、
まあ、いいじゃないか。自分だけの勝手な理屈を、少なくとも自分自身は納得しているのだから。


この小説のすごいところは、これでもか、これでもか、と、細かくたっぷり心情や情景を描いているところ。
葉子が男性的な魅力あふれる既婚男性の倉地と恋に落ちて以降、
小説の描写は加速度的に凄みをましていく。
不倫の恋に身を焦がしている女性必読! 「不倫小説大賞」をあげたい。
少し長いけれど引用してみる。


   ことに倉地の帰りのおそい晩などは、葉子は座にもいたたまれなかった。
   倉地との居間になっている十畳の間に行って、そこに倉地の面影を少しでも忍ぼうとした。
   船の中での倉地との楽しい思い出は少しも浮かんで来ずに、どんな構えとも想像はできないが、
   とにかく倉地の住居のある部屋に、三人の娘たちにとりまかれて、
   美しい妻にかしずかれて杯を干している倉地ばかりが想像に浮かんだ。
   そこに脱ぎ捨ててある倉地の普段着はますます葉子の想像をほしいままにさせた。
   いつでも葉子の情熱をひっつかんでゆすぶりたてるような倉地特有の膚の香、
   芳醇な酒やタバコからにおい出るようなその香を葉子は衣類をかき寄せて、それに顔をうずめながら、
   麻痺していくような気持ちで嗅ぎに嗅いだ。
   その香の一番奥に、中年の男に特有なふけのような不快な香、他人ののであったなら葉子は一たまりもなく鼻をおおうような不快な香を嗅ぎつけると、
   葉子は肉体的にも一種の陶酔を感じてくるのだった。
   倉地が妻や娘たちにとりまかれて楽しく一夕を過ごしている。
   そう思うとあり合わせるものを取ってぶちこわすか、つかんで引き裂きたいような衝動がわけもなく嵩じてくるのだった。
   (290−291ページ)



すごいな〜。このあとすぐ、葉子は人目をはばかるようにして雨の夜に倉地が借りてくれた家に引っ越すのだけれど、
この引越しの夜の描写が圧巻。
恋する男との愛の巣を得て、本当なら幸福感でいっぱいのはずなのに、
葉子は激しい風雨の中でふと、「自分はひょっとするとあざむかれている、もてあそびものにされている。倉地はやはりいつまでもあの妻子と別れる気はないのだ。」
と思いはじめる。自分で選び取った運命のはずなのに、「又うまうまといたずら者の運命にしてやられたのだ。それにしてももうこの瀬戸際からひくことはできない」
と思い、「死ぬまで……そうだ死んでもこの苦しみに浸りきらずにおくものか。」などと追い込まれていく。
家に到着すると、葉子は出迎えた倉地の胸に顔をうずめて泣き出す。
「ヒステリーのように間歇的にひきおこるすすり泣きの声をかみしめてもかみしても止めることができなかった。
 葉子はそうしたまま倉地の胸で息をひきとることができたらと思った。
 それとも自分のなめているような魂の悶えの中に倉地をまきこむことができたらばとも思った。」


ところが迎えた側の倉地は、なんとものんきなもので、
「いそいそと世話女房らしく喜び勇んで二階に上がってくる葉子を見出すだろうとばかり思っていたらしい倉地は、
 この理由も知れぬ葉子の狂体に驚いたらしかった。」とある。
そうなんだよな〜。こういうもんなんだよな〜。
このあたりから葉子は、追いかければそれだけ離れていくという男女のかけひきをわかっていながら、
倉地を追いかけずにはいられなくなる。
やがて自分の妹と倉地の関係を疑うほどになり、
最後は心身ともにぼろぼろになって、おそらく死の床について小説は終わる。


でも、葉子は最後まで、自分から奥さんのことや他の女のことは言い出さないんだよねー。
それが、やっぱり昔の日本女性の奥ゆかしさというか、意地というか、すごいところ。
それから、葉子のお金の使い方もすごくて、とにかく全然お金がないのに、
着物とかきれいなものとかみると、つい買ってしまう。
葉子が買った着物やら布地やら小物やらの描写もものすごく細かくて、
そういうところは翻訳小説では味わえない、日本の小説ならではの魅力だ。


もっといろいろ書きたいのだけれど、お風呂に入ってすいかを食べなくちゃいけないので、
とりあえず今日はここまで。
ブログはあまりためずに、毎日少しずつ書きたいといつも思っているのだけれど、
なかなか実行にうつせない。