不機嫌な若者たち

今週前半は九州出張。旅の友には複数の読書仲間がすすめていた津村記久子を選択。文庫本と単行本を1冊ずつ買って、ボストンバッグに入れて旅立った。
2冊とも九州で読了。

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

ワーカーズ・ダイジェスト

ワーカーズ・ダイジェスト

まずは文庫になっているデビュー作から。読んでいるうちに、だんだん息苦しくなってきた。飛行機の中で読んでいたせいもあるかもしれない。登場する若者たちが皆、大小さまざまな悩みや不幸をかかえて、あまりに生きにくそうにしているのだ。途中リストカットをする女の子の話が出てくるのだが、その描き方があまりにリアルで(つまり小説としては上手いのだろう)、少し貧血っぽくなってしまったほど。小説中に、手首に傷のある女の子の割合は「知り合いの女の子のおよそ六分の一から八分の一」という言葉が出てくる。そんなに多くないだろ、と一瞬思うのだが、たしかに振り返ってみると、それくらいの割合になるのかもしれない。私自身、今までに何人か出会った。いまは皆、結婚しておかあさんになっているけれど、当時は大変だった。予告電話にふりまわされたときもあったし、「血をみると安心するんです」という言葉がまったく理解できず、悩んだこともあった。


そして次の単行本のほうを読んで確信した。わたしはこの作者は苦手だ。きらい、というわけではない。でも、読んでいるうちにものすごくつらくなってしまうのだ。きっとうまいのだろう。こちらのほうがデビュー作よりもだいぶおおらかに書いているのだけれど、出てくる若者が皆、あまりに不機嫌で、君たちはなぜそんなに不幸なの、と思わずにはいられない。そしてなぜだかわからないが、脳天気なわたしは彼女たちに対して、後ろめたいような、すまないような気持ちになってしまうのだ。これは、どうしたことか。


津村さんの小説もそうだが、この世代の女性作家の小説は、自分の母親世代やひとまわり上くらいの世代(私の年頃だ)の女性に対する視線がとても厳しい。女主人公の多くは、四十を過ぎていまだに「女」を武器にしたり「女」であることを捨てない、上の世代の女性たちを憎み、忌み嫌う。そして、「母は嫌い」で「祖母は大好き」なケースが多い。彼女たちは、鈍感な母親世代(あるいは母的な存在)に対する抗議のように手首を切る。「ワーカーズ・ダイジェスト」での、「三十九歳で結婚した富田さん」への悪意あふれる視線は、まっすぐわたしに突き刺さる。こんな小説を読んでしまうと、職場でお昼休みに年下の女の子たちとご飯を食べるとき、同居人と旅行に行った話とかできないなー、と思ってしまう。自分たちと同じような繊細な神経が、このおばさんにも通っているとは、あまり思えないのかもしれない。正直言ってわたしも、だんだん自信がなくなってくる。自分はずいぶん無神経なんじゃないか。体型といっしょに心の中までふてぶてしくなっているんじゃなかろうか。


とにかく、この2冊を読むかぎり、この作者は大変うまいと思うが、うまいだけに、わたしはもうあまり読みたくない。ちゃんとラストは明るく希望が見えてくるように書いているのだけれど、でもなんていうか、不機嫌な登場人物たちから投げつけられる礫が、わたしには命中しすぎて痛い。読み終えたときは満身創痍だ。


今回の九州出張では、三十代前半のイケメンの営業マンがずっと一緒に行動してくれた。普通だったらきゃあきゃあ言うところだが、こんな小説を読んでいたので、ついひがみっぽくなって、彼が終始礼儀正しく、ときにお世辞を言ってくれたりしているのに、「どうせほんとうはこんなおばさんと口もききたくないでしょ」なんて思ったりしてしまった。でもまあ、仕事的には大成功、というか、帰ってきたときにはへとへとだったけど、得るものは多かったと思う。気づけば自分でもびっくりするくらい、今の仕事に熱中している。いいものに仕上げたいという気持ちがあるのは当然だけれど、営業的に成功したいという気持ちがこんなにあるとは我ながら意外。


来週も1泊だけど九州出張。今度は元気が出そうな本を持っていかなくちゃ。金曜日に翻訳仲間と一緒に本屋に行って、翻訳関係の本を2冊買ったので、これを持っていくつもり。

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)