小説に影響されて

前回書いた『或る女』という小説は、教育的にあるいは道徳的に、
大変正しい小説だ、ともいえるし、大変よくない小説だ、ともいえる。
というのは、この奔放な女主人公は、とても悲惨な最期をむかえるわけで、
国語の教科書ふうに、「作者がこの小説をとおして訴えたかったことは何でしょう」
などという問いをたてれば、
「女性は清く正しく生きないと、こういう悲惨なことになるという警告」
という答えだって、まあ、あり得る。
一方で、この小説に影響されて、男を手玉にとったり不倫に走ったりする人がいるとしたら、
それは、大変よろしくないわけだ。


などということを書いているのは理由がある。
わたしは相性のいい小説と出会うと、小説の世界に没入し、
生活全般にわたって影響されてしまうタイプである。
もちろん、だからといって力量もないのに男を手玉にとろうとか不倫に走ろうとする、というほど、
短絡的ではない。
けれども実はひとつ、この小説に影響されて、わたしは大変なことをしでかした。
……それは、前回の最後のところにちょこっと書いた、「買い物」である。


或る女』を読み終えてまもないある日、わたしは週1回かよっている着付教室に行った。
そうしたら、その日は通常の授業ではなく、結城紬の実演・販売があった。
今までに見たこともないほどたくさんのきれいな反物が、ところせましと並べられていて、
いつもはちょっと厳しい先生が、ああ、この日ばかりはにこやかにやさしく、
反物のひとつをわたしの体にあてて、くるくるとまきつけてくれたりする。
それがなぜだかたくさんある中でも、とくにわたしの好きそうな、
地味だけれど上品な感じの色合いで、うわあ、きれい、すてき。
わたしは早月葉子のように、値札を確認もせずに鏡にうつる自分の着物姿にしばしうっとりし、
ふとわれにかえって値札をチェックしたところ、手も足もでないという額ではなく、
うーん、ほしい、ほしい。
このまえつくったばかりの訪問着と母の帯はとてもふだんに着られるようなものではないし、
そうよ、わたしは毎日こんなに働いて給料をもらっているのだから、
それをきれいな着物を買うのに使ってだれにもとやかく言われることはないんだわ、と
いきなり口調が早月葉子ふうになって、えーい、
結城紬の着物と帯、帯揚帯締めほか一式を、購入してしまったのだった。はあ。


わたしはあまり「買い物好き」というタイプではない。
ただ、前に着物を買ったときにも書いたのだけれど、
「着物を買う」というのは、なんだかかなり特別な感じがする。
なんともいえない幸福感につつまれるので、
「大変なことをしでかした」と書いたものの、じつはまったく後悔していない。
買ったのは反物なので、これから採寸をして、着物ができあがってきて、
はじめて袖をとおして、はじめてお出かけして、はじめて自分で着てみて……。
これから先のいろいろな場面を想像するだけで、なんというか、ふわふわした気持ちになって、
日ごろのイライラはふっとんでしまうのだ。


倹約家の同居人は眉をひそめるかもしれないが、
「『或る女』のほかのところに影響されるよりマシでしょ?」
と言い訳することにしよう。