『オン・ザ・ロード』が来た!

ここのところ大部の「黄金のノート」を読んでいるということもあり、
「読了」と書けない日が続き、必然的にブログの更新が滞りがち。
でも今日、敬愛する翻訳家の方から、読んでいるからこまめに更新をするように、
という、ありがたいお言葉をいただいたので、
このような他愛のないブログだけれども、せめて更新だけはまめにして、
毎日ぶつくさ言いながらも、まあまあなんとか元気にやっているということが伝わればいいかなと思う。


さて、今日は待ちに待った『オン・ザ・ロード』が届いた。

だれよりも早く入手したいから「予約注文」したのに、わたしの手元に届いたのは書店で見かけてから3日は経っている。
平積みになっているのを横目で見ながら、「もう届くはずだから」と必死にこらえていたのだ。
これは、bk1の普通の注文は宅急便ではなく「メール便」を使うことになっているかららしいが、
こういう全集ものを予約注文した読者の心理としては、それはないよなあ、という感じがする。
全巻で59800円も払ったんだから、せめて宅急便で24H以内に届けてほしいものだ。


ケルアックの『路上』を翻訳で読んだのは、そんなに昔ではない。
この「不滅の青春の書」(帯より)をはじめて読んだのは、30代半ば、
自分の翻訳している小説に、『路上』の引用がでてきたので、あわてて読んだのだった。
そのときの印象は、正直なところ、あまりおもしろくなかった。
いろいろな要因があるだろう。なにしろ引用箇所がいつでてくるかわからないまま読んだので、
落ち着いて小説の世界に没頭できなかった、ということが大きいと思う。
それにやっぱり、「適齢期」を過ぎてしまっていたのかも。


だから、この「世界文学全集」を全巻そろえることにしたものの、
第1巻のケルアックはあ、あとまわしかなあ、なんて思っていた。
……池澤夏樹の書いている「月報」を読むまでは。


   『オン・ザ・ロード』というタイトル、これを英語のままカタカナで書く。そうするしかない。


という書き出しではじまる月報は、なぜよく知られた邦題『路上』を使わずに、カタカナで『オン・ザ・ロード』にしたかを、
わかりやすく説明している。わたしは映画でも書籍でも、カタカナのままのタイトルというのは、あまり好きではない。
例のサリンジャーの青春小説だって、中身の文章はともかく、タイトルは絶対、カタカナの村上訳より、野崎訳の『ライ麦畑でつかまえて』のほうが好き。
でも、「ものすごく非生産的な人生」という、とても池澤夏樹らしいタイトルのついた月報の文章を読むと、
この小説のタイトルは、『オン・ザ・ロード』しかないな、と思ったし、
青山南訳の『オン・ザ・ロード』を読んでみたら、案外、最初に読んだときとは違った、新しい出会いになるかもしれないな、とも思った。


でも今はとりあえず、『黄金のノート』に夢中。
これはケルアックとはまったく逆で、今まさに、わたしが読むべき本、わたしが読まずしてだれが読む、くらいに入れこんで読んでいる。
先ほどの「適齢期」についていえば、この小説は40過ぎてから読む本だ。
いや、もちろん小説としていろいろな実験をしているし、ストーリー展開もおもしろいから、
小説好きの人ならだれでも、それなりに楽しく読めると思う。でもでも、
この主人公の女の、登場する女たちの、この、なんともいえない、微妙な心理、
自分でも説明がつかない感情、どうすることもできないやるせなさに共感できるのは、
やっぱりまあ、40年くらいは生きてこないとね、なんて思ったりして。
そういうわけでものすごく面白いんだけど、ものすごく「みっちり」書きこまれていて、読み飛ばしのきく小説ではないので、
とにかく時間がかかっている。今まだ半分くらいだ。


今日は休日出勤。つかれた。
ここのところちょっと仕事が不調。以前に同居人に言われたように、「自分のやっていることを信じていない」感じがする。
もちろん会社員である以上、わりふられたすべての仕事を納得してできるはずはないのだけれど、
なんとなく「向いてないなあ」とか「割に合わないなあ」とか思いながら、毎日を過ごしている。
だいたい会社員人生は「割に合わない」とか「正当に評価されていない」なんて思い始めたらおしまいだと思っているので、
まわりのことなど気にせず、仕事そのものをおもしろがれるように、
自分の今の環境を変えていくか、どこかへ移っていくか、考えなくちゃいけないかな、と思う。
本をつくる仕事は、大好きなのに……ね。