「僕」は恋愛用語?

小谷野先生の新刊、昨夜おそくに読み始め、一気に読了。

中島敦殺人事件

中島敦殺人事件

宮沢賢治殺人事件」も読んだし、わたしの仕事は中島敦を「大作家」扱いしている張本人みたいなものなので、
そういう興味で読み始めた。
でも、最後まで読んで印象に残ったのは、随所に散りばめられている文学についてのウンチクより、
赤裸々に描かれる象牙の塔の実情より、
主人公の二人の、なんとも初々しい恋愛模様だったりする。


この二人が恋に落ちていくさまは、ありきたりと言えばありきたり、
どこにでもころがっていそうな話だ。
だからこそ、同世代のわたしにとっては、なんともいえない共感をさそう。
たとえばこの中で、二人がまだ恋愛関係におちいる前に、雑談の中で主人公の男が、
「僕」は恋愛用語だ、と語る場面がある。一人称として、「私」「俺」は使うけれど、
「僕」は恋愛用語としてとってある、という話だ。
   「いや、僕は、あなたが好きです、って言うならいいけど、
    それが、私は、だと何かかっこうがつかないし、俺は、ってやると、
    お前に惚れてる、とか言わないと平仄が合わなくなるし、
    それじゃあちょっと『青春の門』みたいだ」(146ページ)
思わず笑ってしまった。
たしかに、わたしが20代のころつきあっていた体育会系男子は、
青春の門』が自分のバイブルだ、と言っていて、彼の恋愛用語は「俺」で、わたしのことも「お前」と呼んでいたっけ。
でも、文化系男子の恋愛用語は、「僕」と「あなた」で、どちらの用語にも、恋愛中のわたしは、ビリビリとしびれたものだった。


あんまり書いちゃうとネタばれになっちゃうんだけど、
二人にとって転機となるのが、男が熱を出して女がお見舞いに行って……というあたりも、
ほんとに、どっかで聞いたような話で、あの頃(80年代後半〜90年代)の恋愛って、
まさにこんな感じだったよなあ、と思う。
物語のラスト近く、天候不良で揺れる飛行機の中で、女主人公が、
「このままいっしょに死んじゃいたい」と思う場面がある。
   涼子は、右側に坐っている藤村の左腕を抱えて、頭をもたせかけた。
   そうだ、一緒に死のう。そうすれば、藤村に飽きられたり、市橋さんを諦めきれない藤村を見たり、
   結婚してお互いに飽きて倦怠期を迎えたり、みんなしなくて済む。(229−230ページ)
男の人って普通、こんなふうに考えないんじゃないかなあと思う。
とくに、「市橋さんを諦めきれない藤村を見たり」というのが泣かせる。
20代の後半以降の恋愛は、「ああ、わたしは一番手じゃないな」と思うことが多い。
心の中には別のだれかがすんでいて、でも、それがかなわない恋なので、
それじゃあまあ、この子でもいいか、みたいな感じ。
時々、その「ベアトリーチェ」の影がちらついて、恋人の動揺が手にとるようにわかって、
そんなときの切なさといったら、ほんとに、ねえ。


ちなみにこの小説の男主人公は東大の比較文学出身で、大変な博識。
だから、国文学専攻の院生である女主人公に向かって、延々と文学的ウンチクを語る。
これが、わたしにとっては結構おもしろいのだけれど、一般にはどうなんだろう。
だいたいわたしは、若い頃から、ウンチク男に弱い。
体育会系男子とつきあっていても、彼がスキーやテニスについてのウンチクを傾け始めると、
話の内容もさることながら、話しているときの熱に浮かされているような表情とかを眺めるのが好きだった。
ここで重要なのは(って、他人にとってはどーでもいいような話が続いているけど)、
ウンチクと説教は違う!ってことだ。
どれほど知識が豊富で、話がうまくても、
わたしに向かって説教しようとしたら最後、もう、ぜったいに話なんて聞かない。
あなたがスキーやテニスについていろいろ知っていること、
漱石や鴎外について、ブレイクやワーズワースについて、ロシア外交について、江戸の水運について、
もう、なんでもいいんだけど、博識だってことは、ほんとうにすてきだけれど、
だからといって、わたしに向かって、人としての生き方だの、仕事をするうえでの心構えだのを説教する権利はないのです。
……って、別に説教癖がある人とつきあったことがあるわけじゃないんだけど、
ウンチクと説教をごっちゃにしている男の人が多いように思ったので、ちょっと書いてみた。


久しぶりにブログを書いたというのに、他人にとってはどうでもいいようなことばかり、だらだらと書いてしまった。
ちょっと反省。でも、消すのももったいないので、このままにしておく。


今日、アマゾンから、注文しておいた本が届いた。
一冊は、イアン・マキューアン『初夜』。
ところが、この本を薦めていた人から、「是非、英語で読んでみてください」と言われた。
くー。最近、ペーパーバックを最後まで読み切るのが難しくなってきた。
英語を読む力って、あっという間に落ちるのだ。うーん、どうしよう。
もう一冊は、大江健三郎『水死』。なんだけど、どういうわけか、アマゾンで注文するときに失敗したらしく、
なんと、同じ本が3冊も届いてしまった。ありゃりゃ。
返品も可能なんだけど、これも何かの縁、と思って、うちの本だなに3冊並んでいる。
1冊は同居人にあげるとして、あと1冊。ほしい人にあげます。って、こんなとこで宣言してもしょーがないか。