川上未映子『ヘヴン』読了

ヘヴン

ヘヴン

昨夜はせっかくシーツから布団カバ−、枕カバーまで一新して、いい気持ちだったはずなのに、
昼寝のしすぎか、寝つかれず、深夜にごそごそ起き出して、「眠くなるまで……」という感じで、『ヘヴン』を読み始めた。
さすがに話題になっただけあって、ぐいぐいひっぱっていく力はある。
眠くなるどころか、ギンギン目が冴えて、一気に読み進め、明け方近くに読了。
私の正直な感想は、「残念!」。


心に残る、美しいシーンはいくつかある。
わたしがとくに心ひかれたのは、主人公の「僕」が、女主人公のコジマに、
「不安になったり、安心しすぎたり――、だったよね、そうなったときには、僕の髪を切るといいよ」と言って、
実際に髪を切らせる場面。「僕」の髪を切った後、
   

   ……コジマはうつむいて顔をそむけ、髪をにぎった手だけを僕の顔のまえにどんどん押しつけてきた。
   「ねえ、手だけこられても困るよ」と僕は笑った。その声にはじかれるようにぱっとあがったコジマの顔は赤くなって、
   困ったように、それでもうれしいような照れたような、涙ぐんでいるような、よくわからないような表情をして笑っていた。
   「なんか……」とコジマは押しだすように笑い、赤い顔のまま僕を見て、それから目をそらし、また僕の顔を見た。
   髪をにぎりしめたコジマの手はまだ僕の口あたりにあったので僕はそれを食べる真似をした。
   コジマはそれを見て声を出して笑い、僕もそれを見て笑った。
   「たくさんあるから、また切るといいよ」……(68ページ)


このあたりが、この作品のもっともいい部分、という気がする。
書きだしは、センセーショナルかつ類型的な「いじめ小説」。
いじめの様子が詳細に描かれるのは何のためだろう、とかすかな不快感を抱く。
いじめっ子、いじめられっ子の双方がいかにもありがちで、「そんなに単純じゃないだろー」と思う。
でも、少しずつ、あ、これはただの「いじめ小説」じゃないな。
作者は別に、「いじめはよくない」とか、「相手の痛みを感じ取ってほしい」とか言いたいわけじゃなくて、
「いじめ」という題材を使って、何か別のことを伝えたいんだな、ということがわかってくる。
44ページから71ページまでの第2章は、何とも言えないほど美しく切なく、
これは、大傑作かもしれない……という気がしてきた。


ところが、残念ながら、その先が尻すぼみ。というか、つじつまがあわないところや、
説明不足のところが目立ってくる。
哲学問答のような、ぼくと百瀬の会話も、
救世主のような医者の登場も、意図はわからないわけではないのだけれど、
とってつけたような感じが否めない。
そして、執拗に繰り返される、想像を絶するいじめの記述。
おそらく作者は、起きていることに意味などないとする百瀬と、すべてのものごとに意味があるとするコジマを対峙させ、
その間でゆれる主人公「ぼく」をおいて、かなり哲学的なテーマを描こうとしたのだろう。
けれども、いじめの場面の描かれ方があまりに壮絶なために、そちらに読む側の気持ちがいってしまって、
いちばん最後のもっとも壮絶ないじめの場面を最後に物語から姿を消すコジマのその後が気になって、
その後、主人公が手術をしようがしまいが、もうどうでもいいよ、という気持ちになってしまった。
まあこれは、わたしとの相性の問題かもしれないけれど。
この読後感の悪さは、何かに似ている……と考え、思い当たった。村上春樹海辺のカフカ』だ。


次は、青山七恵『かけら』を読むつもり。