川上未映子おそるべし

昨日、川上未映子のエッセイを再読した。
川上未映子といえば、以前このブログで『ヘブン』がいまいちだった、と書いた記憶があるけれども、
同居人が見つけてきたHP上で公開している詩、
「私はゴッホにゆうたりたい」は、絶品だ。
これ。↓
http://www.mieko.jp/blog/2005/03/post_3.html
何度読んでも、涙が出そうになる。
このひとは、やっぱり詩人なのだなあ、と思う。
エッセイを読んでいても、ちょっとした言葉遣いとか、表記の工夫とか、読点の打ち方とか、
丁寧に読むと、思わずうなってしまうくらい、うまい。
物語作家というよりは詩人、言葉で勝負している物書きだな、と思った。


たまたま、PR誌のような媒体に初出掲載され、
のちに単行本のエッセイ集に採録された文章を、初出のものと単行本バージョンとで、
一言一句つきあわせてみる、という作業をした。
初出から単行本へ向けて、大きな加筆修正はないのだけれど、
表記や読点など、ちょこちょこっと直している。
単行本化にあたって、作家が自ら修正したのだろう。
言ってみれば、作家の推敲の過程を見ることができるわけなので、
川上未映子のような文章家が、自分の書いた文章をどう推敲するのか、
大変に興味があるところ。
で、表記については、え、どうして? と思う部分があったり、
修正の仕方が不十分だったり、という部分も、ないわけではないのだけれど、
読点の整理や語の変更など、ほとんどの推敲が、さすが! と思わされるものだった。
一例をあげると、こんな感じ。
 初版時:何が、どこで、どんな具合で、いったい何に、効くのか。
  ↓
 単行本:何がどこでどんな具合でいったい何に、効くのか。


「わかりやすさ」でいえば初版時バージョンだろうけど、
リズムというか勢いというか、盛り上げ方っていうか……うまく言えないけれど、
あきらかに単行本バージョンのほうが、がつんとくる。未映子節になってる、というか。


いま、通勤の携帯本は、ビュトール『心変わり』。
最初のページを読んだだけで、文章の迫力に圧倒された。
すごい小説だ、と思ったけど、それなりに難物なので、なかなかスイスイと読む、というわけにもいかない。
会社を一歩離れたら、ぱっと気分転換して読書に集中する、ってことができたらいいんだけど。