仙川「書原」で本を買う

何も予定のない日曜日。
本屋とおいしい昼食がある町へ、自転車で出かけよう、という企画。
我が家お気に入りの(でもたまにしか行けない)南阿佐ヶ谷の書店「書原」の支店が、
つつじヶ丘にあったはず……と思い、ネットで検索。
そうしたらなんと、家から自転車で15分ほどの仙川に、同じ「書原」の支店がオープンしたというニュースが!
これは行くしかない! 昼食は以前行ったことのある広島風お好み焼きに行くことにして、
いざ、「書原」へ。


自転車をこぎながら、昨日ブログに書いた質問、「これぞ世界文学、という作品は何か」を、
同居人にたずねてみた。
(ちょっと普通すぎるかなあ、と言いながら)同居人の答えは、
・フォークナー『八月の光
ドストエフスキー『悪霊』
ジョイスユリシーズ
とのこと。
フォークナーは、『響きと怒り』のほうが好きだけど、「世界文学」のイメージはこちら。
マルケス百年の孤独』とか、メルヴィル『白鯨』とかもあるけど。
女性もいれたいなー、ウルフ『ダロウェイ夫人』とか、リース『サルガッソーの広い海』なんかもいいよねー。
でもやっぱりシェイクスピアを外しちゃいけないんじゃないのー。戯曲とか詩は除外なの?
……などと話しながら、お好み焼き屋さんに到着。
残念ながらこんでいて入れず、かわりに見つけたパスタ屋さんへ。
(ここは大正解で、とっても美味しかった。)
パスタを食べながらも世界文学についての話は続き、
読書気分が最高潮に盛り上がったところで、いざ、いざ、「書原」へ。


高井戸のエキナカ書店と同様、一見、普通の書店。
でも、品揃えが違う、本の並べ方が違う。さすが、あの「書原」の支店だ。
新聞書評やブログなどで気になっていた本は、すべて、あった。
それも、うーん、うまく言えないんだけど、
それらの本は、わたしのことを待っていたとしか思えないようなたたずまいで、
そこに並んでいたのだ。
文庫本2冊、単行本1冊、参考書1冊、文芸誌1冊、合計5冊購入して6000円足らず。
不思議なもので、これらの本はほとんど、初めて見る本ではなくて、
これまでもいろいろな書棚で見かけてきたはずの本。
だけどなんらかの理由で購入には至らなかった本たち。
それが、「書原」という空間の中で、こんなふうに並べられると、
なぜだか「買おう」と思ってしまったのだ。


そのうちの1冊、川上弘美『真鶴』を読了。

真鶴 (文春文庫)

真鶴 (文春文庫)

あらすじ紹介を読むにつけ、なぜこれまで読もうとしなかったのか不思議なくらい、わたしの好きそうな小説。
12年前に夫が失踪、と聞いただけで、どきどきする。
失踪、という言葉は、わたしには遠い世界のこととは思えない。
どんなに近い、あるいは深いと思った関係も、ある日突然、ぷつりと終わりを迎えることがある、という気がしている。
絶対だいじょうぶ、な関係なんて、ない、とも思う。


久しぶりに川上弘美の長編を読んだのだけれど、
やっぱりうまいなあ、と思う。情景描写や小道具がすごく気が利いていて、ちょっとあざといかと思うくらいだ。
ただ、手放しで「よかった!」と言えるかというと、そうでもなくて、
どうもわたしは、幽霊が出てくる小説って、苦手みたいだ。
巻末の三浦雅士の解説を読むまでもなく、この「ついてきているもの」が意味することは想像できるんだけど、
それでもやっぱり、わたしがびびっとくるのは、現実の生活描写の部分なのだ。
たとえば、小説のラスト近く、別れの気配が濃厚な恋人と、なにもしないで手をつないだまま眠った、翌朝の場面。


   光がさして目が覚めると、もう手はつながっていなかった。寝返りをせいじが打った。
   朝まで悲しみ続けることは、むずかしい。光があたるうちに、霧散してしまう。
   「おはよう」言って、せいじの鼻をつついた。
   小さくうなりながら、せいじは目をひらいた。胸の谷がよくみえるように、からだを動かした。
   わたしを捨ててもったいないと思いなさい。念じながら、みせつけた。せいじは、ぼんやりしている。
   「何時」聞かれる。
   「八時」
   朝ごはん、食べなきゃな。こどもじみた口調で、せいじが言う。まだせいじのかたちに固まりきっていないのだ。
   「ばか」言いながら、また鼻をつつく。
   「ばかじゃない」まだこどもじみている。
   このまま、固まる前にわたしがこねて、わたしのいいようなかたちにしてしまえればいいのに。
   (245ページ)(※「せいじ」は青に慈のしたごころなしの漢字表記)


こういうところを読むと、川上弘美ってオンナだなあーと思う。
それから、たとえば、失踪する夫のこんなことば。


   もう、わたしを愛してないの。聞いた。
   愛する。礼はふしぎそうにつぶやいた。そういう言葉は、おれは、なじみがないな。(213ページ)


   こうして結婚までしているじゃあないか。礼は答え、不可解な表情をしたものだった。
   一緒にいても、たりないの。一緒にいても、せつないの。
   いるだけでは、だめなのか。
   少しつまらなそうに、礼は言った。
   礼だから、礼というものだから、わたし、こんなになってしまうの。
   ずいぶんと熱心に好いてくれるんだね、京は。笑いながら礼は言い、近づけたわたしの顔を遠ざけた。
   邪険にではなく、ごくやさしく。(218−219ページ)



全体に静かな印象の小説なのに、このもの静かなヒロインの情熱の強さに胸をつかれる。
そして、離れていこうとする男たちの、魅力的なこと。
夫の失踪も、恋人が離れていこうとすることも、川上弘美はゆるしている。
ゆるしているからこそ、相手の男をこれほど魅力的に描ける。
「ずいぶんと熱心に好いてくれるんだね」なんて言われたら、もう、好きなまま、あきらめるしかないじゃない。
怒る人もいるだろうけど、わたしはしっかり共感した。


そのほかに今日買った本は、
「書原」で、「小説トリッパー2010年春号」、佐藤良明・とち木玲子編『The American Universe of English』、
辻原登『闇の奥』、出久根達郎『作家の値段』。
古本屋で「文芸読本 志賀直哉」。
りつこさんおすすめのロッジ『ベイツ氏の受難』は、さんざん迷った末、
キンドルで原書"Deaf Sentence"のサンプルを取り寄せ、検討中。
明日からの携帯本は……出久根さんかな。