着物でうどん会席

今週末はあるおめでたい会合が神楽坂の老舗料理店であり、
天気がよければ着物で出席することにした。
こんなことはめったにないので、びしっと着こなしていきたいが、
忙しさにかまけてもうずいぶん長いこと着物を着ていない。
あわててしばらくぶりに着付教室に電話をし、担任の先生に相談。
会合の当日、授業があるので、自分の着物を着ていって、先生に直していただけることになった。
ありがたや。これを機に、着付けのお稽古を再開しようと思う。
がんばって月1回くらいは着物でおでかけしたいものだ。
5月は文楽を観に行く予定があるのだけれど、残念ながらその日夕方から会議が入っているので、断念。
6月は2週間も地方出張が入っており、おそらく週末はぐったりだろう。
でもまあ、あまりがんばりすぎず、マイペースでお稽古に通えばいいか。


今年の地方出張は、九州1週間、中部地方1週間。
毎年この時期になると地方に出ていって、苦手な営業トークをしなくてはならない。
周囲の人からよく、「そういうの、得意そうですね」と言われるのだけれど、
実はものすごく苦手だ。
自分の第一印象に自信がないので、初対面の人と話すとき、やたらと緊張してしまう。
相手の人にとって、自分ごときと会って話している時間が無駄に思えるだろうなーなどと考えてしまうともうダメで、
仕事で行っているのに、「あ、すみません、失礼します……」と帰ってきたくなってしまうのだ。
飲み会やパーティなどでも、盛り上げようとしてハッスルしてしゃべるので、
社交好きのように見られがちなのだけれど、
多くの場合、会が終わったあとで、どーっとくたびれると同時に、
「はしゃぎすぎてみっともなかったな……」という悔恨の念にかられる。
今読んでいる小説『ある婦人の肖像』では、登場人物たちがやたらとウィットに富んだ会話を交わすんだけど、
19世紀後半のヨーロッパでは、ほんとうにこんなふうだったんだろうか。
「美人」であることはもちろん当時も重要な要素だったようだけれど、
それに加えて「話がうまい」「頭の回転が速い」ということが、「魅力的な人」とされるための必須要件のようだ。
ひゃあ、大変なのね−。


営業の仕事をしている男の人たちは、こういう人間関係の苦労を積んでいるせいか、
年齢よりずいぶん大人っぽく見える。
わたしよりずっと年下なのに、大勢の人の前や初対面の人の前で、あがったりしないのだ。
礼儀正しくて、感じもいい。そして、本心を上手に隠しているような雰囲気がある。
きっとほんとうは、「けっ」とか「ちっ」とか思ってるんだろうけど、
そんなことはおくびにも出さず、淡々と、にこやかで、ソフトで、うーん、立派だ。


明日は横須賀へ出張。懐かしい逗子に寄って、チャヤのケーキでも食べてこようかな。